2024年3月のブログ記事
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「鬼憑き」という言葉があるが、当人はまず気付かない。 「私に鬼が?」 「まさか」 自分自身が悪霊の巣窟であった場合でも、 人は「まさか私が」と思うのだ。 マタイ26章 (まさか私が) 20 夕方になって、イエスは十二弟子と一緒に食事の席につかれた。 21 そして、一同が食事をしているとき言われた、... 続きをみる
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「前の神」は常に先手を打つ。 エジプトを脱出後、モーセを最初に山に呼んだのは「前の神」だった。 出エジプト記 19 章 (暗雲と竈の煙の神) イスラエルの人々は、エジプトの地を出て後三月目のその日に、シナイの荒野にはいった。 2 すなわち彼らはレピデムを出立してシナイの荒野に入り、荒野に宿営した。... 続きをみる
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311はリマインダー。 残念無念の記憶が蘇る。 世界は、多く援助を行ってくれた。 それに感謝しよう。 これを契機に世の中の不幸の根本原因に光を当てたい気持ちになる。 → 闇の中の鬼 それは光を当てるまで、不幸を餌に肥え太る。 鬼を闇に放置すれば、いつまでも人類の不幸が終わらない。 光はどこに・・・... 続きをみる
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能登の地震は、今も記憶に痛ましい。 「正月を狙われた」という特殊性から、 裏の鬼勢力が仕掛けたと直感する。 怒りはいつまでも収まらない。 当時、一つの案が浮かんでいたのに、忙しさにかまけて忘れていた。 それは・・・これ。 → 結託する 古い家屋が多かったとはいえ、何の対策もできなかったのか? いや... 続きをみる
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人の意識は巧妙なスイッチになっている。 これに気付くまで、長期間を要した。 なんとなく理解はしていたが、 うまく説明できないでいた。 ところが今日、生々しい夢を見た。 「生体験」とでも名付けるべきか。 放し飼いの犬が町中に出ていって、 行方不明。 これを追って様々な場所を歩いた時、 数人の男と接触... 続きをみる
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