イハのブログ

神の名を知ってますか?

おかめ・ひょっとこを掘り下げる


キリスト教の足跡を知った人が憤慨する。


「魔女の火あぶりは酷い」

「冤罪だ!」

「戦争や奴隷制度はどうなんだ」



彼は、キリストの組織に敵対心を示す。


よく使われるのが「質問箱」。

正義感から出た行為にしても、

これだと鬼の思う壺。



なぜなら、羊たちを脅せば「逃げる」からである。



羊は「敵」の唸り声を聞くとむしろ囲いの内部に逃げ込んでしまう。


(そこが「カルト」であっても)





■ヒントになる日本文化


キリスト教・カルト組織に対しては、昔から声があった。


「信者が食い物にされている」


しかし、解明は難しい仕事なのだ。


実は、日本文化がその「ヒント」を提供している。



歌舞伎や神楽のような芸能世界に、不思議なキャラクターがいる。


→ おかめ・ひょっとこ


※ 「夫婦」として認識されるが、実は謎。



以下、ウェブからの資料。



◉ひょっとこ祭りの歴史 | 日向ひょっとこ夏祭り-公式ホームページ- http://www.hyottoko.jp/history#:~:text=%E3%80%90%E6%97%A5%E5%90%91%E3%81%B2%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%81%93%E8%B8%8A%E3%82%8A%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E3%80%91&text=%E3%81%9D%E3%81%AE%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%84%E3%81%AF%E9%87%8C%E7%A5%9E%E6%A5%BD,%E3%81%AB%E8%B8%8A%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82


資料より:



【日向ひょっとこ踊りについて】


日向ひょっとこ踊り(正式名称:永田のひょっとこ踊り)は、明治時代に日向市塩見永田地区に眼科医として開業していた橘公行医師によって考案されたといわれています。


そのルーツは里神楽に登場する“もどき”をモデルにしていることが解明されてきましたが、詳しいことは判っていません。


昔は、初午(はつうま)の日に踊られていたそうですが、現在は豊作を祝う踊りとして、また商売繁盛を願う踊りとしていろいろな機会に踊られています。


永田のひょっとこ踊りは日向市を代表する踊りとして市の無形民俗文化財にも指定されています。



【日向ひょっとこ踊りの物語】


昔、塩見永田に「ひょう助」と「おかめ」という夫婦が住んでいました。 なかなか子どものできない二人は、毎朝、稲荷神社に豆ん飯を供えて子宝に恵まれるよう祈願をしていると、 あまりにも空腹だった神主が、お供え物の豆ん飯を見て、つい、つまみ食いをしてしまいました。


それを見て怒ったお稲荷様が、きつねの姿となって現れたものの、傍らにいた美しいおかめに目を奪われてしまいます。


そして、おかめの気を惹こうと手招きをしながら踊り始めます。それを見ていたおかめがつたれて踊りだし、 心配そうに見ていたひょう助とこの様子をそっと木陰でうかがっていた村の若者たちもつられて一緒に踊りだしてしまいました。


踊りのあと、境内が汚れたので、残った1人の青年が竹ぼうきを持って踊りながら掃き清め、みんなの後をついて行きました。



【日向ひょっとこ夏祭りについて】


≪歴史≫ 子のお祭りは、地域の活性化・伝統文化の継承・観光振興などを目指して、1984年に始まりました。熱心なファンや市民によって次第に規模が大きくなり、現在では日本全国から踊り手が参加。宮崎を代表するお祭りに成長しています。


(引用感謝)




これが実は、聖書の解明に寄与する「鍵」となる。


ひょっとこのルーツは、「里神楽」に登場する「モドキ」だと解明された。




「モドキ」の「モド」は?


→ mode



【mode】モード

原義:尺度、方法。

1.方法、方式。様式、流儀。

2.形態。

3.流行、慣習、慣行。

・・・



聖書的観点からすれば、

「モドキ」は mode cy(造語)となり


→ 真似る鬼


墓の前に出現した「主」が浮かぶ。




ヨハネ20章 (墓の前の主)

20:1さて、一週の初めの日に、朝早くまだ暗いうちに、マグダラのマリヤが墓に行くと、墓から石がとりのけてあるのを見た。

20:2そこで走って、シモン・ペテロとイエスが愛しておられた、もうひとりの弟子のところへ行って、彼らに言った、「だれかが、主を墓から取り去りました。どこへ置いたのか、わかりません」。

20:3そこでペテロともうひとりの弟子は出かけて、墓へむかって行った。

20:4ふたりは一緒に走り出したが、そのもうひとりの弟子の方が、ペテロよりも早く走って先に墓に着き、

20:5そして身をかがめてみると、亜麻布がそこに置いてあるのを見たが、中へははいらなかった。

20:6シモン・ペテロも続いてきて、墓の中にはいった。彼は亜麻布がそこに置いてあるのを見たが、

20:7イエスの頭に巻いてあった布は亜麻布のそばにはなくて、はなれた別の場所にくるめてあった。

20:8すると、先に墓に着いたもうひとりの弟子もはいってきて、これを見て信じた。

20:9しかし、彼らは死人のうちからイエスがよみがえるべきことをしるした聖句を、まだ悟っていなかった。

20:10それから、ふたりの弟子たちは自分の家に帰って行った。

20:11しかし、マリヤは墓の外に立って泣いていた。そして泣きながら、身をかがめて墓の中をのぞくと、

20:12白い衣を着たふたりの御使が、イエスの死体のおかれていた場所に、ひとりは頭の方に、ひとりは足の方に、すわっているのを見た。

20:13すると、彼らはマリヤに、「女よ、なぜ泣いているのか」と言った。マリヤは彼らに言った、「だれかが、わたしの主を取り去りました。そして、どこに置いたのか、わからないのです」。

20:14そう言って、うしろをふり向くと、そこにイエスが立っておられるのを見た。しかし、それがイエスであることに気がつかなかった。

20:15イエスは女に言われた、「女よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか」。マリヤは、その人が園の番人だと思って言った、「もしあなたが、あのかたを移したのでしたら、どこへ置いたのか、どうぞ、おっしゃって下さい。わたしがそのかたを引き取ります」。

20:16イエスは彼女に「マリヤよ」と言われた。マリヤはふり返って、イエスにむかってヘブル語で「ラボニ」と言った。それは、先生という意味である。

20:17イエスは彼女に言われた、「わたしにさわってはいけない。わたしは、まだ父のみもとに上っていないのだから。ただ、わたしの兄弟たちの所に行って、『わたしは、わたしの父またあなたがたの父であって、わたしの神またあなたがたの神であられるかたのみもとへ上って行く』と、彼らに伝えなさい」。

20:18マグダラのマリヤは弟子たちのところに行って、自分が主に会ったこと、またイエスがこれこれのことを自分に仰せになったことを、報告した。




マグダラのマリア→ おかめ


彼女は、「天之鈿女命」(アメノウズメノミコト)として、日本神話に描かれている。



◉天岩戸神話|【公式】天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ)|天岩戸神話|宮崎県|高千穂町 https://amanoiwato-jinja.jp/pages/8/



「天岩戸」はイエスの墓。


続く聖句で、

「ひょっとこ」を語っている。




ヨハネ20章

20:19その日、すなわち、一週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人をおそれて、自分たちのおる所の戸をみなしめていると、イエスがはいってきて、彼らの中に立ち、「安かれ」と言われた。

20:20そう言って、手とわきとを、彼らにお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ。

20:21イエスはまた彼らに言われた、「安かれ。父がわたしをおつかわしになったように、わたしもまたあなたがたをつかわす」。

20:22そう言って、彼らに息を吹きかけて仰せになった、「聖霊を受けよ。




「2022」の数字が教えるのは


→ 二重性


「息を吹きかけた主」は、

「本物に重なる主」を意味するヒント。



息を吹いて「ひょっとこの顔」になった主は、顔だけでなく「火男」なのである。




「モドキ」が、

数々の教えを嘯(ウソブ)いた。


それ以後、現代(2023年)に至るまで大きな影響を世界に与えている。


(黙示録の四騎士の先頭)




■トマスの直感


  (疑った弟子トマス)

20:23あなたがたがゆるす罪は、だれの罪でもゆるされ、あなたがたがゆるさずにおく罪は、そのまま残るであろう」。

20:24十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれているトマスは、イエスがこられたとき、彼らと一緒にいなかった。

20:25ほかの弟子たちが、彼に「わたしたちは主にお目にかかった」と言うと、トマスは彼らに言った、「わたしは、その手に釘あとを見、わたしの指をその釘あとにさし入れ、また、わたしの手をそのわきにさし入れてみなければ、決して信じない」。




当時の会衆には、

トマスのように、「疑った弟子」が多くいた。


彼らの勢力は日本に来て、歌舞伎や神楽の中に後代へのヒントを残している。


「嘯(ウソブ)きの主」はまるで「ひょっとこ」のような顔に見えたのだろう。


それは「松明の神」であり、その火を保つため口を尖らせる。


疑う者がいる、何とか消したい・・・


「主」は、強硬手段に出た。




  (門を通らず羊の囲いに入る)

20:26八日ののち、イエスの弟子たちはまた家の内におり、トマスも一緒にいた。戸はみな閉ざされていたが、イエスがはいってこられ、中に立って「安かれ」と言われた。

20:27それからトマスに言われた、「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」。

20:28トマスはイエスに答えて言った、「わが主よ、わが神よ」。

20:29イエスは彼に言われた、「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである」。




トマスは、場の空気に押されて「信じます」と口にした。


しかし、内心は逆だった。


「トマスの福音書」には、「イエス復活」という記述が無い。


この書はバチカンの都合に合わないため、「聖書外典」として阻害されてしまった。



トマスは会衆に残ったが、「疑う組」の大部分は徒党を形成。


エルサレムの滅びをすり抜けて旅に出た。

最後は、島国に移住する。



彼らは日本で、歌舞伎や神楽の中に多くのヒントを残したのだ。


日本文化を通せば、「疑え」というヒントが多数提供される。




■「日」を真似る「火男」


聖書での「火の神」は


→ 「松明(タイマツ)の神」


それは元、アブラハムの神であった。


(以下の17節がヒント)




創世記15章

15:1これらの事の後、主の言葉が幻のうちにアブラムに臨んだ、

「アブラムよ恐れてはならない、

わたしはあなたの盾である。

あなたの受ける報いは、

はなはだ大きいであろう」。

15:2アブラムは言った、「主なる神よ、わたしには子がなく、わたしの家を継ぐ者はダマスコのエリエゼルであるのに、あなたはわたしに何をくださろうとするのですか」。

15:3アブラムはまた言った、「あなたはわたしに子を賜わらないので、わたしの家に生れたしもべが、あとつぎとなるでしょう」。

15:4この時、主の言葉が彼に臨んだ、「この者はあなたのあとつぎとなるべきではありません。あなたの身から出る者があとつぎとなるべきです」。

15:5そして主は彼を外に連れ出して言われた、「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみなさい」。また彼に言われた、「あなたの子孫はあのようになるでしょう」。

15:6アブラムは主を信じた。主はこれを彼の義と認められた。

15:7また主は彼に言われた、「わたしはこの地をあなたに与えて、これを継がせようと、あなたをカルデヤのウルから導き出した主です」。

15:8彼は言った、「主なる神よ、わたしがこれを継ぐのをどうして知ることができますか」。

15:9主は彼に言われた、「三歳の雌牛と、三歳の雌やぎと、三歳の雄羊と、山ばとと、家ばとのひなとをわたしの所に連れてきなさい」。

15:10彼はこれらをみな連れてきて、二つに裂き、裂いたものを互に向かい合わせて置いた。ただし、鳥は裂かなかった。

15:11荒い鳥が死体の上に降りるとき、アブラムはこれを追い払った。

15:12日の入るころ、アブラムが深い眠りにおそわれた時、大きな恐ろしい暗やみが彼に臨んだ。

15:13時に主はアブラムに言われた、「あなたはよく心にとめておきなさい。あなたの子孫は他の国に旅びととなって、その人々に仕え、その人々は彼らを四百年の間、悩ますでしょう。

15:14しかし、わたしは彼らが仕えたその国民をさばきます。その後かれらは多くの財産を携えて出て来るでしょう。

15:15あなたは安らかに先祖のもとに行きます。そして高齢に達して葬られるでしょう。

15:16四代目になって彼らはここに帰って来るでしょう。アモリびとの悪がまだ満ちないからです」。

15:17やがて日は入り、暗やみになった時、煙の立つかまど、炎の出るたいまつが、裂いたものの間を通り過ぎた。




15章17節は、まるで「百鬼夜行」。



◉京都の夜を練り歩く妖怪たちの『百鬼夜行絵巻』を紐解く |Casie mook https://mook.casie.jp/articles/hyakki_yagyo


鬼が、「契約の証人たち」となっている。




■星と地の契約


15:18その日、主はアブラムと契約を結んで言われた、

「わたしはこの地をあなたの子孫に与える。

エジプトの川から、かの大川ユフラテまで。

15:19すなわちケニびと、ケニジびと、カドモニびと、

15:20ヘテびと、ペリジびと、レパイムびと、

15:21アモリびと、カナンびと、ギルガシびと、エブスびとの地を与える」。




この「アブラハム契約」は、

犠牲にされる人々が二つの勢力に分離するという示唆である。




■ユダヤ人の二重性


ハザール(カザール)が構成するユダヤ人については、今や世界中の要職者に知れ渡っている。



ハザール - Wikipedia https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%AB


以下資料より:


ハザールのユダヤ教受容は非常に有名であるが、改宗に関する史料は少なく、その時期と実態は謎に包まれており、さまざまな論争を呼んでいる。西欧ではアクイタニア(アキテーヌ)のドルトマルが864年に書いたマタイ伝の注釈の中で、ハザールの改宗にふれているので、864年以前であることは確実であろう。アラブのマスウーディーはハザールの王(ベク)がハールーン・アッ=ラシード(在位:786年 - 809年)の時代に、ユダヤ教を受け入れ、ビザンツ帝国やムスリム諸国から迫害を受けて逃れてきたユダヤ教徒がハザール国に集まったと記している。


10世紀のコルドバのユダヤ人ハスダイ・イブン・シャプルトがハザールのヨシフ・カガンに宛てた手紙、いわゆる『ハザール書簡』において、「ブラン・カガンが夢の中で天使に会ってユダヤ教に改宗したが、民衆が新しい宗教を信じなかったので、ベクが尽力してユダヤ教の普及をはかった」という記述がある。


ブラン・カガンの時代だとすると、730年 - 740年頃ということになる。以上のように、改宗の時期や理由は断定することはできないが、9世紀初頭と考えるのが妥当なところであろう[7]。 735年にマルワーン率いるウマイヤ朝軍に敗れたハザールは一時的にイスラム教に改宗したものの、アッバース革命に前後するイスラーム帝国内部の混乱を機に、799年にオバデア・カガンは再びユダヤ教を公的に受容した。こうして9世紀までに、ハザールの支配者層はユダヤ教を受容したが、住民はイスラム教徒が多かったと考えられている。




 ハザールの滅亡


ハザール人とユダヤ人をむすびつける理論の現状 編集 アラブ世界では、反シオニズム主義者[13]、反ユダヤ主義者たち[注 1]の間におけるこの理論への支持は高い。


こうした賛同者たちの議論では、もしアシュケナジーたちがかつてのハザール人であってセム系の起源を持たないのであれば、イスラエルへの歴史的権利もなく、神による、聖書やクルアーンに見える、イスラエル人へのカナンの地の約束の主体でもなく、それゆえ、宗教的シオニストとキリスト教シオニストの双方の理論的基盤が葬りさられるという。


(引用感謝)




少し前、バルフォア宣言の締結で保護された期間が終わった。


→ 終わりの日


現代ユダヤの滅亡は、絵空事ではない。




■大量に増やして間引く「火の方針」


アブラハムの子孫を増やすため、「主」はエジプトで数を増やした。


軍事能力を高め、未来を血に染める役割を担う。


異邦人征服のために彼らは訓練されており、戦いによって多くの土地を占領していった。


この神の二重性格が、「22章」に示されている。




22 章

これらの事の後、神はアブラハムを試みて彼に言われた、「アブラハムよ」。彼は言った、「ここにおります」。

2 神は言われた、「あなたの子、あなたの愛するひとり子イサクを連れてモリヤの地に行き、わたしが示す山で彼を燔祭としてささげなさい」。

3 アブラハムは朝はやく起きて、ろばにくらを置き、ふたりの若者と、その子イサクとを連れ、また燔祭のたきぎを割り、立って神が示された所に出かけた。




「星の数ほど子を増やす」と約束した神が、なぜたった一人の息子を犠牲に選んだのか?



子供をよこせと告げたのは「別勢力」という考えもあるが、先程の15章17節を思い出そう。




17 やがて日は入り、暗やみになった時、煙の立つかまど、炎の出るたいまつが、裂いたものの間を通り過ぎた。




これは、「犠牲を求める神」のグループ内には、対立する二つの勢力がある・・・という示唆でもある。



「マッチポンプ」という言葉があるように、「火付け役」と「火消し役」が同じ信者に向かって仕掛けるという構図なのだ。


アブラハムの子孫は、そんな状態のまま異邦の地であるエジプトに落ちて行った。




■ホレブからの状況変化


エジプトから出た選民は、ホレブの荒野で時を過ごした。そこは、大きな節目。


神との出会いは二度あった。



モーセは神に呼ばれて登山をし、法令を授かる。その時、下界に残してきた民が背教を起こしている。


→ 金の子牛崇拝


しかし、アブラハムの神が「マッチポンプ」を使うと想定するなら、「背教に誘った神」と「粛清を決意させた神」は同一の枠に入るのである。


(仕掛ける勢力は隠れて動く)



モーセは結局、民の粛清を余儀なくされたが、後日『神』に呼ばれて再登山する。


二度目は「火の神」ではなく「太陽の暖かさ」を持っていた。


その柔和と暖かさは、モーセの懇願を誘うほどであった。


「共に歩んでください」



しかし、「前の神」との関係上、願いは叶わず、温情の神は「後の神」となる。



「前の神」が与えた十戒石板は、背教の姿を見たモーセが激怒して割ってしまった。しかし、二度目の登山でもう一度刻まれた。


それが、「石の契約の民」(後の神に結ばれた民)の証拠なのである。




■夜に有利な鬼


選民には結局、二つの契約がある。


1.意思の契約(アブラハムと火の神)

2.石の契約(モーセと日の神)


時代が夜なら、「松明」に有利。


しかし、夜明けには「太陽」が有利になる。



夜の時代を続けたい鬼は、「石の契約」を所持する日本で、「契約の箱」(本神輿)を地下に隠してしまった。


こうして、神の国が戦争に引き出された。


多くの血を流した原因はこれ。


→ 御子(神輿)を眠らせた


鬼の夜が続けば、犠牲者が増える。




■目をひょっとこに向ける


近代に起きた東西冷戦もアブラハム契約の「選民」が作ったと考える。


ホフユーデン(宮廷ユダヤ人)は各国の権力中枢に入り込んで操縦する。


ひょっとこが火男であり、キリスト教を支配し戦争の火を広げていると読めば、その動きは15世紀に活発化したユダヤと共に、現代では最高潮。


「鬼が求める犠牲者」が、自他ともに増加するのも当然である。


このままだと、「裂かれた犠牲」は百鬼夜行で終わってしまう。


ひょっとこが「火男」である事を、知ってしまったなら、


何が何でも、「日男」に転じなければならない。


・・・

このように、「おかめ」「ひょっとこ」を掘り下げて、「光の全容」が見えて来た。


我々は、松明の火を求めない。


「日の御子」を出迎えたい。


※ 依代(ヨリシロ)である地下の神輿にも、早急にお出まし願いたい。