名への認識は「意識スイッチ」
人の意識は巧妙なスイッチになっている。
これに気付くまで、長期間を要した。
なんとなく理解はしていたが、
うまく説明できないでいた。
ところが今日、生々しい夢を見た。
「生体験」とでも名付けるべきか。
放し飼いの犬が町中に出ていって、
行方不明。
これを追って様々な場所を歩いた時、
数人の男と接触し、彼らと知己になる。
彼らはやがて、家まで押し掛けて本性を表した。
何かと「イチャモン」を着けてくるので「警察呼ぶぞ」と言い放ち、その場で電話した。
警察が来て状況説明が始まる。
・・・
夢はここまでだが、まるで意味不明。
ただ、「生」と「リアル」という言葉が頭に残っていた。
それは、長年の疑問への答えであった。
■頭の中の「意識スイッチ」
「人の頭にはリアルスイッチがあってね」
「それどんなの?」
「『認識』があるかどうかで機能する」
「よくわからないな」
「生々しい感触」が機能を果たす。
例えば、
『岩の上』いう言葉を聞いた人に
「印象を教えて」と言うと・・・
「あー、『岩の上』って清々しいね」
「何か霊的波動を感じるし」
「立ってる写真も絵になるし」
・・・
この人はまだ、理解に達していない。
ところが、理解している人なら・・・
「宇宙の創造主でしょ?」
「それは盤石の守りだね」
この時、彼は「岩の上」を「神の名」として頭に描いている。(生)
つまり、「岩の上」を「神名」だと理解した人が口に出すと、「聖霊」のスイッチが入るのだ。
■イエスが初めて「父の名」を教えた
スイッチを入れる形で創造主の名を知らせたのはイエス。
祈り(6節・26節)に、示されている。
ヨハネ17章(イエスは御名を表した)
これらのことを語り終えると、イエスは天を見あげて言われた、「父よ、時がきました。あなたの子があなたの栄光をあらわすように、子の栄光をあらわして下さい。
2 あなたは、子に賜わったすべての者に、永遠の命を授けさせるため、万民を支配する権威を子にお与えになったのですから。
3 永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります。
4 わたしは、わたしにさせるためにお授けになったわざをなし遂げて、地上であなたの栄光をあらわしました。
5 父よ、世が造られる前に、わたしがみそばで持っていた栄光で、今み前にわたしを輝かせて下さい。
6 わたしは、あなたが世から選んでわたしに賜わった人々に、み名をあらわしました。彼らはあなたのものでありましたが、わたしに下さいました。そして、彼らはあなたの言葉を守りました。
7 いま彼らは、わたしに賜わったものはすべて、あなたから出たものであることを知りました。
8 なぜなら、わたしはあなたからいただいた言葉を彼らに与え、そして彼らはそれを受け、わたしがあなたから出たものであることをほんとうに知り、また、あなたがわたしをつかわされたことを信じるに至ったからです。
9 わたしは彼らのためにお願いします。わたしがお願いするのは、この世のためにではなく、あなたがわたしに賜わった者たちのためです。彼らはあなたのものなのです。
10 わたしのものは皆あなたのもの、あなたのものはわたしのものです。そして、わたしは彼らによって栄光を受けました。
11 わたしはもうこの世にはいなくなりますが、彼らはこの世に残っており、わたしはみもとに参ります。聖なる父よ、わたしに賜わった御名によって彼らを守って下さい。それはわたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためであります。
12 わたしが彼らと一緒にいた間は、あなたからいただいた御名によって彼らを守り、また保護してまいりました。彼らのうち、だれも滅びず、ただ滅びの子だけが滅びました。それは聖書が成就するためでした。
13 今わたしはみもとに参ります。そして世にいる間にこれらのことを語るのは、わたしの喜びが彼らのうちに満ちあふれるためであります。
14 わたしは彼らに御言を与えましたが、世は彼らを憎みました。わたしが世のものでないように、彼らも世のものではないからです。
15 わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、彼らを悪しき者から守って下さることであります。
16 わたしが世のものでないように、彼らも世のものではありません。
17 真理によって彼らを聖別して下さい。あなたの御言は真理であります。
18 あなたがわたしを世につかわされたように、わたしも彼らを世につかわしました。
19 また彼らが真理によって聖別されるように、彼らのためわたし自身を聖別いたします。
20 わたしは彼らのためばかりではなく、彼らの言葉を聞いてわたしを信じている人々のためにも、お願いいたします。
21 父よ、それは、あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、みんなの者が一つとなるためであります。すなわち、彼らをもわたしたちのうちにおらせるためであり、それによって、あなたがわたしをおつかわしになったことを、世が信じるようになるためであります。
22 わたしは、あなたからいただいた栄光を彼らにも与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためであります。
23 わたしが彼らにおり、あなたがわたしにいますのは、彼らが完全に一つとなるためであり、また、あなたがわたしをつかわし、わたしを愛されたように、彼らをお愛しになったことを、世が知るためであります。
24 父よ、あなたがわたしに賜わった人々が、わたしのいる所に一緒にいるようにして下さい。天地が造られる前からわたしを愛して下さって、わたしに賜わった栄光を、彼らに見させて下さい。
25 正しい父よ、この世はあなたを知っていません。しかし、わたしはあなたを知り、また彼らも、あなたがわたしをおつかわしになったことを知っています。
26 そしてわたしは彼らに御名を知らせました。またこれからも知らせましょう。それは、あなたがわたしを愛して下さったその愛が彼らのうちにあり、またわたしも彼らのうちにおるためであります」。
11節12節に、「御名は守り」と書かれている。
これは「岩の上」を「名」と捉えている人だけの現象だ。
「自然の岩のてっぺん」と考えている人だとスイッチが入らず守りにもならない。
これはプラシーボ効果の「逆」。
プラシーボは思い込みで効果が出る現象で、ある種「気のせい」で力が発揮される。
逆に、力があるのに抑え込まれてしまう現象も存在する。
※ 理解の有無でスイッチが機能する。
創造主の名が「イハウヘ」(岩の上)という理解を持つ人であれば、聖霊が巨大なエネルギーとして流れ込む。
文字通り、「理解力によるスイッチ」が入るのだ。
その意味では、歴代の王でさえ「岩」が創造主の本名であるとは知らず、「神の属性」という捉え方であったと考えられる。
彼らもまた、「我らの岩」と聞いて「岩のように強固で巨大な方」という認識にとどまっていた。
ならば、どの神の名を使っていたのだろう?
■モーセ譲りの名であった
モーセは神の名を聞いている。
→ 柴の神から
認識は「柴の神」から離脱してない。
申命記32章 (モーセの象徴表現)
18 あなたは自分を生んだ岩を軽んじ、自分を造った神を忘れた。
※ 「『岩』が神の『象徴』」・・・という認識なので、記憶にあった神の名(主)は「柴の神が教えた名」のままである。
(33章16節)
以下の3〜4節で、「主の名を述べよう」と語り「岩」と結び付けている。
→ 主は岩である
※ 現代ヘブライ語を加味した訳では「ツゥル」だから「イハ」に繋がらない。
◉ツゥルとセラア
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12144620702
※ 古語の「岩」(イハ)が残された日本だけが復元できる環境にあった。
モーセの認識が王たちに引き継がれている。
申命記32 章 (モーセの認識)
「天よ、耳を傾けよ、わたしは語る、地よ、わたしの口の言葉を聞け。
2 わたしの教は雨のように降りそそぎ、わたしの言葉は露のようにしたたるであろう。若草の上に降る小雨のように、青草の上にくだる夕立のように。
3 わたしは主の名をのべよう、われわれの神に栄光を帰せよ。
4 主は岩であって、そのみわざは全く、その道はみな正しい。主は真実なる神であって、偽りなく、義であって、正である。
5 彼らは主にむかって悪を行い、そのきずのゆえに、もはや主の子らではなく、よこしまで、曲ったやからである。
6 愚かな知恵のない民よ、あなたがたはこのようにして主に報いるのか。主はあなたを生み、あなたを造り、あなたを堅く立てられたあなたの父ではないか。
7 いにしえの日を覚え、代々の年を思え。あなたの父に問え、彼はあなたに告げるであろう。長老たちに問え、彼らはあなたに語るであろう。
8 いと高き者は人の子らを分け、諸国民にその嗣業を与えられたとき、イスラエルの子らの数に照して、もろもろの民の境を定められた。
9 主の分はその民であって、ヤコブはその定められた嗣業である。
10 主はこれを荒野の地で見いだし、獣のほえる荒れ地で会い、これを巡り囲んでいたわり、目のひとみのように守られた。
11 わしがその巣のひなを呼び起し、その子の上に舞いかけり、その羽をひろげて彼らをのせ、そのつばさの上にこれを負うように、
12 主はただひとりで彼を導かれて、ほかの神々はあずからなかった。
13 主は彼に地の高き所を乗り通らせ、田畑の産物を食わせ、岩の中から蜜を吸わせ、堅い岩から油を吸わせ、
14 牛の凝乳、羊の乳、小羊と雄羊の脂肪、バシャンの牛と雄やぎ、小麦の良い物を食わせられた。またあなたはぶどうのしるのあわ立つ酒を飲んだ。
15 しかるにエシュルンは肥え太って、足でけった。あなたは肥え太って、つややかになり、自分を造った神を捨て、救の岩を侮った。
16 彼らはほかの神々に仕えて、主のねたみを起し、憎むべきおこないをもって主の怒りをひき起した。
17 彼らは神でもない悪霊に犠牲をささげた。それは彼らがかつて知らなかった神々、近ごろ出た新しい神々、先祖たちの恐れることもしなかった者である。
18 あなたは自分を生んだ岩を軽んじ、自分を造った神を忘れた。
19 主はこれを見、そのむすこ、娘を怒ってそれを捨てられた。
20 そして言われた、『わたしはわたしの顔を彼らに隠そう。わたしは彼らの終りがどうなるかを見よう。彼らはそむき、もとるやから、真実のない子らである。
21 彼らは神でもない者をもって、わたしにねたみを起させ、偶像をもって、わたしを怒らせた。それゆえ、わたしは民ともいえない者をもって、彼らにねたみを起させ、愚かな民をもって、彼らを怒らせるであろう。
22 わたしの怒りによって、火は燃えいで、陰府の深みにまで燃え行き、地とその産物とを焼きつくし、山々の基を燃やすであろう。
23 わたしは彼らの上に災を積みかさね、わたしの矢を彼らにむかって射つくすであろう。
24 彼らは飢えて、やせ衰え、熱病と悪い疫病によって滅びるであろう。わたしは彼らを獣の歯にかからせ、地に這うものの毒にあたらせるであろう。
25 外にはつるぎ、内には恐れがあって、若き男も若き女も、乳のみ子も、しらがの人も滅びるであろう。
26 わたしはまさに言おうとした、「彼らを遠く散らし、彼らの事を人々が記憶しないようにしよう」。
27 しかし、わたしは敵が誇るのを恐れる。あだびとはまちがえて言うであろう、「われわれの手が勝ちをえたのだ。これはみな主がされたことではない」』。
28 彼らは思慮の欠けた民、そのうちには知識がない。
29 もし、彼らに知恵があれば、これをさとり、その身の終りをわきまえたであろうに。
30 彼らの岩が彼らを売らず、主が彼らをわたされなかったならば、どうして、ひとりで千人を追い、ふたりで万人を敗ることができたであろう。
31 彼らの岩はわれらの岩に及ばない。われらの敵もこれを認めている。
32 彼らのぶどうの木は、ソドムのぶどうの木から出たもの、またゴモラの野から出たもの、そのぶどうは毒ぶどう、そのふさは苦い。
33 そのぶどう酒はへびの毒のよう、まむしの恐ろしい毒のようである。
34 これはわたしのもとにたくわえられ、わたしの倉に封じ込められているではないか。
35 彼らの足がすべるとき、わたしはあだを返し、報いをするであろう。彼らの災の日は近く、彼らの破滅は、すみやかに来るであろう。
36 主はついにその民をさばき、そのしもべらにあわれみを加えられるであろう。これは彼らの力がうせ去り、つながれた者もつながれない者も、もはやいなくなったのを、主が見られるからである。
37 そのとき主は言われるであろう、『彼らの神々はどこにいるか、彼らの頼みとした岩はどこにあるか。
38 彼らの犠牲のあぶらを食い、灌祭の酒を飲んだ者はどこにいるか。立ちあがってあなたがたを助けさせよ、あなたがたを守らせよ。
39 今見よ、わたしこそは彼である。わたしのほかに神はない。わたしは殺し、また生かし、傷つけ、またいやす。わたしの手から救い出しうるものはない。
40 わたしは天にむかい手をあげて誓う、「わたしは永遠に生きる。
41 わたしがきらめくつるぎをとぎ、手にさばきを握るとき、わたしは敵にあだを返し、わたしを憎む者に報復するであろう。
42 わたしの矢を血に酔わせ、わたしのつるぎに肉を食わせるであろう。殺された者と捕えられた者の血を飲ませ、敵の長髪の頭の肉を食わせるであろう」』。
43 国々の民よ、主の民のために喜び歌え。主はそのしもべの血のために報復し、その敵にあだを返し、その民の地の汚れを清められるからである」。
44 モーセとヌンの子ヨシュアは共に行って、この歌の言葉を、ことごとく民に読み聞かせた。
45 モーセはこの言葉を、ことごとくイスラエルのすべての人に告げ終って、
46 彼らに言った、「あなたがたはわたしが、きょう、あなたがたに命じるこのすべての言葉を心におさめ、子供たちにもこの律法のすべての言葉を守り行うことを命じなければならない。
47 この言葉はあなたがたにとって、むなしい言葉ではない。これはあなたがたのいのちである。この言葉により、あなたがたはヨルダンを渡って行って取る地で、長く命を保つことができるであろう」。
48 この日、主はモーセに言われた、
49 「あなたはエリコに対するモアブの地にあるアバリム山すなわちネボ山に登り、わたしがイスラエルの人々に与えて獲させるカナンの地を見渡せ。
50 あなたは登って行くその山で死に、あなたの民に連なるであろう。あなたの兄弟アロンがホル山で死んでその民に連なったようになるであろう。
51 これはあなたがたがチンの荒野にあるメリバテ・カデシの水のほとりで、イスラエルの人々のうちでわたしにそむき、イスラエルの人々のうちでわたしを聖なるものとして敬わなかったからである。
52 それであなたはわたしがイスラエルの人々に与える地を、目の前に見るであろう。しかし、その地に、はいることはできない」。
■芝の神を伝授
申命記33章16節にモーセの遺言が記されており、そこには「柴の中におられた者」という表現がそのまま残っている。
「柴の神」の名(私は有る)が、ヨセフや兄弟たちにも伝授された。
申命記33章 (モーセの遺言)
神の人モーセは死ぬ前にイスラエルの人々を祝福した。祝福の言葉は次のとおりである。
2 「主はシナイからこられ、セイルからわれわれにむかってのぼられ、パランの山から光を放たれ、ちよろずの聖者の中からこられた。その右の手には燃える火があった。
3 まことに主はその民を愛される。すべて主に聖別されたものは、み手のうちにある。彼らはあなたの足もとに座して、教をうける。
4 モーセはわれわれに律法を授けて、ヤコブの会衆の所有とさせた。
5 民のかしらたちが集まり、イスラエルの部族がみな集まった時、主はエシュルンのうちに王となられた」。
6 「ルベンは生きる、死にはしない。しかし、その人数は少なくなるであろう」。
7 ユダについては、こう言った、「主よ、ユダの声を聞いて、彼をその民に導きかえしてください。み手をもって、彼のために戦ってください。彼を助けて、敵に当らせてください」。
8 レビについては言った、「あなたのトンミムをレビに与えてください。ウリムをあなたに仕える人に与えてください。かつてあなたはマッサで彼を試み、メリバの水のほとりで彼と争われた。
9 彼はその父、その母について言った、『わたしは彼らを顧みない』。彼は自分の兄弟をも認めず、自分の子供をも顧みなかった。彼らはあなたの言葉にしたがい、/あなたの契約を守ったからである。
10 彼らはあなたのおきてをヤコブに教え、あなたの律法をイスラエルに教え、薫香をあなたの前に供え、燔祭を祭壇の上にささげる。
11 主よ、彼の力を祝福し、彼の手のわざを喜び受けてください。彼に逆らう者と、彼を憎む者との腰を打ち砕いて、立ち上がることのできないようにしてください」。
12 ベニヤミンについては言った、「主に愛される者、彼は安らかに主のそばにおり、主は終日、彼を守り、その肩の間にすまいを営まれるであろう」。
13 ヨセフについては言った、「どうぞ主が彼の地を祝福されるように。上なる天の賜物と露、下に横たわる淵の賜物、
14 日によって産する尊い賜物、月によって生ずる尊い賜物、
15 いにしえの山々の産する賜物、とこしえの丘の尊い賜物、
16 地とそれに満ちる尊い賜物、しばの中におられた者の恵みが、ヨセフの頭に臨み、その兄弟たちの君たる者の頭の頂にくだるように。
上記16節が、モーセの記憶していた神であり、「柴の神」を、最後まで保持していた事が読み取れる。
17 彼の牛のういごは威厳があり、その角は野牛の角のよう、これをもって国々の民をことごとく突き倒し、地のはてにまで及ぶ。このような者はエフライムに幾万とあり、またこのような者はマナセに幾千とある」。
18 ゼブルンについては言った、「ゼブルンよ、あなたは外に出て楽しみを得よ。イッサカルよ、あなたは天幕にいて楽しみを得よ。
19 彼らは国々の民を山に招き、その所で正しい犠牲をささげるであろう。彼らは海の富を吸い、砂に隠れた宝を取るからである」。
20 ガドについては言った、「ガドを大きくする者は、ほむべきかな。ガドは、ししのように伏し、腕や頭の頂をかき裂くであろう。
21 彼は初穂の地を自分のために選んだ。そこには将軍の分も取り置かれていた。彼は民のかしらたちと共にきて、イスラエルと共に主の正義と審判とを行った」。
22 ダンについては言った、「ダンはししの子であって、バシャンからおどりでる」。
23 ナフタリについては言った、「ナフタリよ、あなたは恵みに満たされ、主の祝福に満ちて、湖とその南の地を所有する」。
24 アセルについては言った、「アセルは他の子らにまさって祝福される。彼はその兄弟たちに愛せられ、その足を油にひたすことができるように。
25 あなたの貫の木は鉄と青銅、あなたの力はあなたの年と共に続くであろう」。
26 「エシュルンよ、神に並ぶ者はほかにない。あなたを助けるために天に乗り、威光をもって空を通られる。
27 とこしえにいます神はあなたのすみかであり、下には永遠の腕がある。敵をあなたの前から追い払って、『滅ぼせ』と言われた。
28 イスラエルは安らかに住み、ヤコブの泉は穀物とぶどう酒の地に、ひとりいるであろう。また天は露をくだすであろう。
29 イスラエルよ、あなたはしあわせである。だれがあなたのように、主に救われた民があるであろうか。主はあなたを助ける盾、あなたの威光のつるぎ、あなたの敵はあなたにへつらい服し、あなたは彼らの高き所を踏み進むであろう」。
つまり「主」とある部分は、柴の神が教えた「私は有る」のままであった。
■名は御子が伝えた
イエスが伝えるまで、創造主の名(父の名)は周知でなく、その意味で御子の教えは貴重である。
もう一度ヨハネの聖句。
ヨハネ17章 (御子は父の名を教えた)
6 わたしは、あなたが世から選んでわたしに賜わった人々に、み名をあらわしました。彼らはあなたのものでありましたが、わたしに下さいました。そして、彼らはあなたの言葉を守りました。
(信奉者に)御名を知らせたとあり、
「これからも知らせる」と教えている。
26 そしてわたしは彼らに御名を知らせました。またこれからも知らせましょう。それは、あなたがわたしを愛して下さったその愛が彼らのうちにあり、またわたしも彼らのうちにおるためであります」。
それは「選ばれた一部」にしか伝わっておらず、彼らは「岩」と聞いて「神の名」を連想する人々である。
その信仰が日本にある。
岩の神(イハウヘ)を伊勢に祀る日本人。
(夫婦岩が契約の記念)
彼らこそ、聖霊のスイッチを入れる人々であった。
スイッチをオンにして、天からの恩義を受けようではないか。
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