念がこもる国
イエスの言葉に感心した。
遠い未来を予告していたからだ。
■「死なない弟子」は日本に来た
日本という国とイエスの「愛弟子」(マナデシ)が重なった。
非常に高い視野から観ると、そうなっている。
→ 日本は「愛弟子」の家
以下の聖句から考えよう。
ルカ11章 (悪霊を追い出す)
14 さて、イエスが悪霊を追い出しておられた。それは、物を言えなくする霊であった。悪霊が出て行くと、口のきけない人が物を言うようになったので、群衆は不思議に思った。
15 その中のある人々が、「彼は悪霊のかしらベルゼブルによって、悪霊どもを追い出しているのだ」と言い、
16 またほかの人々は、イエスを試みようとして、天からのしるしを求めた。
※ ここでイエスは「国家」の話を取り上げている。
17 しかしイエスは、彼らの思いを見抜いて言われた、「おおよそ国が内部で分裂すれば自滅してしまい、また家が分れ争えば倒れてしまう。
18 そこでサタンも内部で分裂すれば、その国はどうして立ち行けよう。あなたがたはわたしがベルゼブルによって悪霊を追い出していると言うが、
19 もしわたしがベルゼブルによって悪霊を追い出すとすれば、あなたがたの仲間はだれによって追い出すのであろうか。だから、彼らがあなたがたをさばく者となるであろう。
20 しかし、わたしが神の指によって悪霊を追い出しているのなら、神の国はすでにあなたがたのところにきたのである。
「国」・「家」・「神の国」を重ねて語られている。
これは「エルサレムを指す」と読めるが、実は「日本」が重なっていると想定するなら、全てが繋がる。
エルサレムは、神の神殿に守られていたはずだが、最後には翻弄された。
同様に、日本はイエスの宮(伊勢)に守られていた国だったが、戦争で翻弄されたのだ。
21 強い人が十分に武装して自分の邸宅を守っている限り、その持ち物は安全である。
22 しかし、もっと強い者が襲ってきて彼に打ち勝てば、その頼みにしていた武具を奪って、その分捕品を分けるのである。
23 わたしの味方でない者は、わたしに反対するものであり、わたしと共に集めない者は、散らすものである。
「散らす者」に攻められた日本は、古来から守ってた良識を散らされ、敗戦国となる。
しかし、戦後日本に守りとなる「平和憲法」が与えられ、二度と戦争に引き出されないよう歯止めが生じた。
汚れた霊は出て、「水のない所」を彷徨う。
鬼に憑依されていた日本が、一時の浄化を受けた形。
24 汚れた霊が人から出ると、休み場を求めて水の無い所を歩きまわるが、見つからないので、出てきた元の家に帰ろうと言って、
25 帰って見ると、その家はそうじがしてある上、飾りつけがしてあった。
26 そこでまた出て行って、自分以上に悪い他の七つの霊を引き連れてきて中にはいり、そこに住み込む。そうすると、その人の後の状態は初めよりももっと悪くなるのである」。
「飾り付けがしてあった」というあたりは、カザールの関与を思わせる。
日本は亜種家が操縦する国家にされたのだった。
主力の民は「戦後世代」。
心を込めて物事を行う人々が、回復を担って働いた。
努力の結果、評判が生じた。
→ ジャパン・アズ・ナンバーワン
しかし、世代がモノ作りから退くと・・・
→ 質の低下
◉ハーバード大教授が語る「モノには魂が宿る」の強さ:日経ビジネス電子版 https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00067/101600046/
以下資料より:
日本では神道や仏教の建築、道具などが非常に精巧な技術を用いて作られてきました。茶道で使う茶器、芸者さんが使うくしなど、文化的な道具や生活の必需品にも精巧な技術が使われていて、そうしたモノづくりが日本の製造業の原点にもなっています。
日本人はすべてのモノ(道具)をいたわり、特別な注意を払って扱います。庭師の道具でも、包丁でも、何でも。
道具をいたわる人が大切に作っているモノなので、日本の製品は今も世界中から尊敬されています。
高い「技術」が使われているだけでなく、作る人が自分の仕事に誇りを持ち、そのプライドをかけて特別な注意を払って作っているからです。
※ (その後、低下が生じる)
私は経済学者ではないので、その点は詳しくはありませんが、毎年2カ月を日本で過ごす中で感じるのは、バブル期を経て、日本が近代化したことが関係しているのではないでしょうか。
工場や企業で働く人にとって、以前のように働く環境や立場が保証されているわけではない。(職場や企業への)忠誠心が薄れてきて、仕事に対する態度も変わってきたと考えられます。
あくまでも私見ですが。 ただ、今でも小規模ながらユニークな製品を作り続けている例も数多く見受けられますよ。
京都で江戸時代からほうきを作り続けているような会社などは今も手作りでモノを生産し、会社も存続しています。
以前、とある企業の社長にインタビューをしたことがあるのですが、彼自身は特に神様を信仰しているわけではないのに、いまだに昔ながらの(宗教的な)行事を続けていると言っていました。
行事を続けることが、企業の連帯感を高め、働き手の集中力を高め、働き手の安全確保につながると考えているからだそうです。
ある大手酒造会社は、伏見稲荷を参拝することを恒例行事としています。
その行事が直接的に良いお酒を造ることにつながるかは分からないけれど、それが伝統で、結果、良い酒も造れてきたので、現在もやり続けているわけです。
(引用感謝)
・・・
「心を込める」という習慣は、製品に念がこもる・・・という結果を生む。
しかし、現在の日本から受ける印象は、やはり「質の低下」である。
お菓子の袋一つにしても、折り目正しくあった過去とは明らかな差が感じられる。
日本の地位は「ナンバーワン」からジリジリと低下。
今はもう、昔のような競争力が感じられなくなっている。
霊的観点からすると、日本に再び戻って来た八つの霊が
→ 憑依
このままでは、国が死んでしまうのではないか?
いや、「そうならない」・・・という気がした。
日本は「死なない弟子」と感じたからである。
■死なない弟子とは?
福音書に、こんな話がある。
「再臨まで死なない弟子がいる」
マタイ16章
27 人の子は父の栄光のうちに、御使たちを従えて来るが、その時には、実際のおこないに応じて、それぞれに報いるであろう。
28 よく聞いておくがよい、人の子が御国の力をもって来るのを見るまでは、死を味わわない者が、ここに立っている者の中にいる」。
「死なない弟子」?
分析をする中で、こう考えた事もある。
「マグダラのマリアか?」
彼女はイエスに「悪霊」を追い出してもらった人。
(イエスの婚約者という推測もある)
しかし福音書の謎は、こちら。
→ 「愛弟子」(マナデシ)
彼は「再臨まで死なない」という謎の存在である。
◉ヨハネ文書の成立 1 https://www.tenryo.net/old/JohnIntr01.htm
■象徴としての「愛弟子」
「愛弟子」が実在の若者であったとしても、それが現代に向けた「象徴表現」に重ねてあった可能性は?
ある。
この「愛弟子」は、イエスの母を家に引き取った・・・
その後、歴史が神の国の滅びに向かう。
ローマに包囲されたエルサレムに、その「愛弟子」もいた。
(イエスの母も)
この一団は、滅びに巻き込まれただろうか?
そんなはずはない。
彼らは蟻の這い出る隙もない状況で窮地に立たされていたが、突如、包囲網が緩んだ。
ローマ軍の司令官だったウェスパシアヌスが本国に呼び戻されたからだった。
その後、息子のティトゥスが再び包囲網を形成する。
◉ティトゥス - Wikipedia https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%88%E3%82%A5%E3%82%B9
資料から、69年から70年までの間に、わずかの隙が生じたと読める。
包囲が解かれたと勘違いしたユダヤ軍は、「勝った」と叫んだが、「愛弟子」の集団は素早く脱出。
→ 「ラクダが針の穴を通る」
これは、家財道具や財産を積み込んだ集団が、わずかの隙(見張りの穴)を抜けたという現象であった。
抜け出した集団の中に「愛弟子」と「イエスの母」も混じっていた。(推理)
この集団は、荒野を抜けて日本へ向かう。
日本に「イエスの宮」(伊勢神宮)があるのはそのためである。
となれば、「死なない弟子」の国は
→ 日本
日本は、「死なない」という念がこもった愛弟子の国だったのだ。
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