イハのブログ

神の名を知ってますか?

絵空事じゃない


現代の選民事情は実に複雑。


まず「選民」は聖書で『女』と表記されている。



黙示録12章

17 龍は、女に対して怒りを発し、女の残りの子ら、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを持っている者たちに対して、戦いをいどむために、出て行った。

[18] そして、海の砂の上に立った。



この女を狙う「龍」の色は赤。

(激怒状態)



黙示録12章

3 また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、大きな、赤い龍がいた。それに七つの頭と十の角とがあり、その頭に七つの冠をかぶっていた。



日本語だけ可能な洒落解釈がこれ。


十の角→ 獣の角→ Jewの角


(謎解きのヒントになる)



■天が日本に準備してくれたヒント


この獣は一つの国家組織であり武力(角)に重きを置く。


それは「Jew」(ユダヤ)と呼ばれる。



日本で「イハウヘ」という創造主の名が復元できたように、日本こそが「神の女」である。だから天はヒントを与えてくれた。


「日本語はコイネー」というのも、意図すればいくらでも証明できる。


意図す→ etos



【etos】イートス

1.徳性、精神、主潮。

2.(個人・集団の)気質。



※ この想定も、子供のような大胆さから出たもの。



もし子供の思考回路なら、「陰謀」に関して「(海外の)意図が絡む」という表現も受け入れ、それを「糸が絡む」と理解できる。


結果、「その糸を断ち切らないとね」といった解決策にまで到達するだろう。



イエスが「子供のような心」を強調した理由も、こうしたヒントを受け取るためであった。


「『女』が狙われる」という警告もあるから、弟子は気を引き締めるべし。

無害妄想に落ちていてはならない。


※ 常に水面下の攻撃が来る。この「水面下」もヒントである。


水面下→ 魚の関与


『魚』は「霊者」を意味しており、見えない攻撃には「霊の存在」が絡む。


日本の先人はその敵を「鬼」と呼んでいた。


(鬼は「風」のごとき挙動)



日本が裏に隠れたユダヤであればこそ、ヒントが受け取れ、表のユダヤから狙われるから注意が必要。


つまり、龍が足台にしている「砂の民」は「現代ユダヤ」であり、七つの大陸のどこからでも仕掛ける事ができる。


(Jewの密かな角による攻撃)


しかし、配下とされた「『砂』のJew」の一般民の心境は「風に靡(ナビ)く葦」のように意味もわからず動いている。


これは彼ら自身の不幸。


(将来、後悔する形になる)


→ 龍の足の下から逃げるべし



現代の選民事情は、やがて天からの介入で真相が明らかにされる。


これは絵空事ではない。

世界の天気と鬼



「天気」という言葉は、気象だけを指していない。


先人は言葉に深い意味を重ねていたが、それを文化から消し去ろうとするものがいる。


→ 鬼


見えない奴らが人類社会を牛耳っている・・・


これを知られたくないのが鬼。


社会に鬼への知識が一般化すると、


「鬼事故」や「鬼病」、「戦争勃発」も含めた「やりたい放題」が阻止される。


鬼には都合が悪いだろう。


だが我々は「鬼の益」じゃなく、「人の益」が目的である。


先人が持っていた感性の復元に勤(イソ)しまなければならない。




■鬼の居ぬ間に洗濯


天気が悪いのに洗濯しても無駄。


腫れた日こそ、洗濯日和(セナクビヨリ)。



この話に重ね、先人は社会に益となる言い回しを残してくれた。


通常、「鬼の居ぬ間に洗濯」は「人間社会のしがらみ」だと解釈されている。



【鬼の居ぬ間に洗濯】

遠慮する人のいない間に、命の洗濯をする。思う存分、心をくつろげることにいう。



では「命の洗濯」の意味は?



【命の洗濯】

心に溜まったつらい思いを忘れ去り、さっぱりした気持ちになること。



ここに聖書からの理解を重ねてみよう。


→ 鬼は生贄を欲している



「罪の意識」が人を追い詰める。

それを知る鬼は、弱った人に追い打ちを仕掛け命の選択をさせない。



つまり、命の「洗濯」は命の「選択」に通じているわけだ。



世の中、隠れ鬱が非常に多く、学生が自殺を選ぶことさえある。


天の神は生贄など欲しておらず、むしろ鬼への生贄を阻止したい側。


キリスト教では「懺悔の部屋」が準備され、癒やしの手筈が整っている。


→ サクラメント(秘跡)


【sacrament】サクラメント

キリストによって定められた恩恵を受ける手段・方法。カトリック教会では「秘跡」、ギリシャ正教では「機密」と称し、洗礼・堅信・聖餐・赦し・病者の塗油・叙階・結婚の7つ。

プロテスタントでは礼典または聖礼典。聖公会では聖奠(セイテン)。



◉サクラメント - Wikipedia https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88



マタイ9章(イエスは罪を許す権威を持つ)

さて、イエスは舟に乗って海を渡り、自分の町に帰られた。

2 すると、人々が中風の者を床の上に寝かせたままでみもとに運んできた。イエスは彼らの信仰を見て、中風の者に、「子よ、しっかりしなさい。あなたの罪はゆるされたのだ」と言われた。

3 すると、ある律法学者たちが心の中で言った、「この人は神を汚している」。

4 イエスは彼らの考えを見抜いて、「なぜ、あなたがたは心の中で悪いことを考えているのか。

5 あなたの罪はゆるされた、と言うのと、起きて歩け、と言うのと、どちらがたやすいか。

6 しかし、人の子は地上で罪をゆるす権威をもっていることが、あなたがたにわかるために」と言い、中風の者にむかって、「起きよ、床を取りあげて家に帰れ」と言われた。

7 すると彼は起きあがり、家に帰って行った。

8 群衆はそれを見て恐れ、こんな大きな権威を人にお与えになった神をあがめた。




イエスが「罪」の本質を教えている。


罪→ チュンミ(tune・miss)


「調整不良」(チューンミス)こそ難儀の元凶であり、イエスはそれを正常に戻す。


正常からの逸脱が「罪」なら、それを作り出しているのが、目に見えない鬼である。


楽園から始まったこの「ズラシ」は、終わりの日に再臨する御子により正常化されるだろう。



人類史は鬼に狂わされ続けたが、この先、予報はこうなる。



「晴れるイハ」(ハレルヤ)

世界は設計されている



聖書にこう書かれている。


「人は神の形に創られた」


どんな意味だろう?




■神の属性を発揮=人間の設計活動


人間は「設計」を常とする。

つまり、様々な設計に関わっている。


「動物の巣作り」も設計だが、人間の場合は本格的。


人は幼少期から工作に勤しみ、様々な作品を送り出している。



家具や食器、乗り物、飛行機やコンピュータまで・・・


→ この部分は蝶番が必要

→ ここはしっかり固定しよう

→ ここには傷を防ぐクッションを

・・・


このように活動しながら、ふと自然界に目を移すと・・・驚嘆するしかない。


「なんと見事な設計なのか!」


→ 完璧な循環と再利用

→ 雨水は洗浄と移動を実現

→ 動・植物の体に設計の痕跡

→ 応力と体重に応じた骨組み強度


鳥の羽が折れては困るが、重くて飛べなくても困る。


しかも、無駄が完璧に省かれている。

(これは誰の知恵だろうか?)




■竹の見事な強度計算


細長く伸びる竹は、強風が吹いても折れない。


それは中空設計で軽く、材質も繊維質なのでその強度がしっかり保たれているためだ。


人間の設計者が長さと強度の両立を考えて設計する場合でも、あのような中空構造を採用するだろう。



科学はこうした部分に目を向けていなかった。




■未来を作る力


「将来設計」という形もある。


人の思念が「線路工事」のように働き、自分たちの未来を構築している話が、マーフィー理論などからも理解できるだろう。


(ジョセフ・マーフィーの法則)



それを「成功法則」と呼んでいるが、実際は逆もある。



「こうなったらどうしよう」

「もし外れたら」


これはいらぬ心配である。

思念から外さねば、そちらが実現してしまう。




■想定から外された存在


聖書は「風のような存在」を教えている。


目には見えないが、思念を送りつけて個人を操縦し、社会全体を靡かせようとする。


人間に代わって人類社会の未来を構築しようとする存在である。


ただし、その目的は「生贄」の適当な奪取にある。


そこで、社会に「恐怖心を撒き散らす」という手段を使っている。


『未来は暗いぞ』

『事故が生じるのは気の緩みのせいだ』

『もっと罰則を強化しろ』


こうして、考察の的を外している。

(不幸の主原因は『風』ではないか)


この「風」と呼ばれる存在は、都合よく神に化けて人類を支配してきた。


(日本の先人は「鬼」と呼んでいる)



イルミナティカードや風評などによって、暗黒の未来図を撒き散らし、人々の集団を暗黒の世界へと誘(イザナ)っていた。


なぜ?


「生贄・犠牲」が手に入るから。


これに煽られた人間集団は、何度も破滅的な戦争を経験。


→ 未来図の実現→ 鬼への生贄提供



小学生でも、自分の未来への夢を描いているだろうが、それを暗くすればわけも分からず破局が実現してしまうのだ。



生贄奪取のためには、交通事故さえ引き起こす『風』。


図ったようにタイミングを合わせた事故は、「鬼事故」と呼ばれ、主原因は鬼のちょっかい(脳の一時停止や偶然を装ったタイミング合わせ)だと気付かねばならない。


対策は?


「鬼の悪意」をしっかり認識し、対抗心を持つこと。


最優先で鬼を祓う。


その場合に必要な権威は?


→ イハウヘ


鬼はこの名が怖いから消してしまった。


しかし逆に、鬼が恐れる創造神の名を掲げ、風を叱る必要がある。



この決意を示すと、笑う人がいるだろう。


『そんなの効かないよ』


鬼はこうした否定的思念で、邪魔を入れているのである。



自分の心に浮かんだ考えが全て『自分のものだ』と考えてはならない。


浮かんだ逆の思念は「鬼の線路工事」なのだから。



世界が設計されているのは間違いないと、気付いただろうか?


「神の形」に作られた人間であるからには、醜悪な神の敵(鬼)に戦いの意思を投げるべし。


「底しれぬ所へ行け!」と。