イハのブログ

神の名を知ってますか?

新エルサレムは何処に?



その都は、天から降って来る。


そして地上に君臨する。

どのように?



■夢を見た


「猫にご飯をあげないと」


しかし・・・


「あれ?食べない」


なぜか、そっぽを向く。


「困ったな」


教えてくれる人がいた。


  「不純物の臭いがするんだよ」


「あれま」



「不純物」とは?


純粋な餌って、どうやれば手に入るのか?




【ヒントの資料】


1.下る都


2.岩の上の教会(イエスの言葉)


3.エルサレムが世界を一新


4.都の外はそのまま(穢れてる)


5.額に神の名


6.崇拝は各自の部屋で


7.崇拝には純な神の名が必要


(純でないと猫も食わない食物になる)


※ 不純な父の名が入った霊的食物は、猫がまたぐ。




黙示録 (ヨハネは子羊の妻を目撃)

 21:9最後の七つの災害が満ちている七つの鉢を持っていた七人の御使のひとりがきて、わたしに語って言った、「さあ、きなさい。小羊の妻なる花嫁を見せよう」。

 21:10この御使は、わたしを御霊に感じたまま、大きな高い山に連れて行き、聖都エルサレムが、神の栄光のうちに、神のみもとを出て天から下って来るのを見せてくれた。




天から地上に映された聖都。




 21:11その都の輝きは、高価な宝石のようであり、透明な碧玉のようであった。

 21:12それには大きな、高い城壁があって、十二の門があり、それらの門には、十二の御使がおり、イスラエルの子らの十二部族の名が、それに書いてあった。

 21:13東に三つの門、北に三つの門、南に三つの門、西に三つの門があった。

 21:14また都の城壁には十二の土台があり、それには小羊の十二使徒の十二の名が書いてあった。

 21:15わたしに語っていた者は、都とその門と城壁とを測るために、金の測りざおを持っていた。

 21:16都は方形であって、その長さと幅とは同じである。彼がその測りざおで都を測ると、一万二千丁であった。長さと幅と高さとは、いずれも同じである。

 21:17また城壁を測ると、百四十四キュビトであった。これは人間の、すなわち、御使の尺度によるのである。




「測る」とは「質の吟味」。

つまり、宝石の価値あり。


しかし、「閉鎖されていない」。

透明感があり、目線を遮らない。




 21:18城壁は碧玉で築かれ、都はすきとおったガラスのような純金で造られていた。

 21:19都の城壁の土台は、さまざまな宝石で飾られていた。第一の土台は碧玉、第二はサファイヤ、第三はめのう、第四は緑玉、

 21:20第五は縞めのう、第六は赤めのう、第七はかんらん石、第八は緑柱石、第九は黄玉石、第十はひすい、第十一は青玉、第十二は紫水晶であった。

 21:21十二の門は十二の真珠であり、門はそれぞれ一つの真珠で造られ、都の大通りは、すきとおったガラスのような純金であった。

21:22わたしは、この都の中には聖所を見なかった。全能者にして主なる神と小羊とが、その聖所なのである。

 21:23都は、日や月がそれを照す必要がない。神の栄光が都を明るくし、小羊が都のあかりだからである。

 21:24諸国民は都の光の中を歩き、地の王たちは、自分たちの光栄をそこに携えて来る。




「王たち」もそこに来る。

「夜」が存在しない。




 21:25都の門は、終日、閉ざされることはない。そこには夜がないからである。

 21:26人々は、諸国民の光栄とほまれとをそこに携えて来る。

 21:27しかし、汚れた者や、忌むべきこと及び偽りを行う者は、その中に決してはいれない。はいれる者は、小羊のいのちの書に名をしるされている者だけである。




門番がいるとは書かれていない。

何が人を選んでいるのだろう?


この都には二重性がある。

「額の名」の謎。




第22章

 22:1御使はまた、水晶のように輝いているいのちの水の川をわたしに見せてくれた。この川は、神と小羊との御座から出て、

 22:2都の大通りの中央を流れている。川の両側にはいのちの木があって、十二種の実を結び、その実は毎月みのり、その木の葉は諸国民をいやす。

 22:3のろわるべきものは、もはや何ひとつない。神と小羊との御座は都の中にあり、その僕たちは彼を礼拝し、

 22:4御顔を仰ぎ見るのである。彼らの額には、御名がしるされている。

 22:5夜は、もはやない。あかりも太陽の光も、いらない。主なる神が彼らを照し、そして、彼らは世々限りなく支配する。




乾きを癒す川の端の木は、実を提供する。

都の中にある神と子羊の座。

しもべ達の礼拝。


(「額の名」の意味は、神の名の記憶)




 22:6彼はまた、わたしに言った、「これらの言葉は信ずべきであり、まことである。預言者たちのたましいの神なる主は、すぐにも起るべきことをその僕たちに示そうとして、御使をつかわされたのである。

 22:7見よ、わたしは、すぐに来る。この書の預言の言葉を守る者は、さいわいである」。

 22:8これらのことを見聞きした者は、このヨハネである。わたしが見聞きした時、それらのことを示してくれた御使の足もとにひれ伏して拝そうとすると、

 22:9彼は言った、「そのようなことをしてはいけない。わたしは、あなたや、あなたの兄弟である預言者たちや、この書の言葉を守る者たちと、同じ僕仲間である。ただ神だけを拝しなさい」。

 22:10またわたしに言った、「この書の預言の言葉を封じてはならない。時が近づいているからである。

 22:11不義な者はさらに不義を行い、汚れた者はさらに汚れたことを行い、義なる者はさらに義を行い、聖なる者はさらに聖なることを行うままにさせよ」。

 22:12「見よ、わたしはすぐに来る。報いを携えてきて、それぞれのしわざに応じて報いよう。

 22:13わたしはアルパであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり、終りである。

 22:14いのちの木にあずかる特権を与えられ、また門をとおって都にはいるために、自分の着物を洗う者たちは、さいわいである。




清い者として入るべし。

都の外は穢れたまま。




 22:15犬ども、まじないをする者、姦淫を行う者、人殺し、偶像を拝む者、また、偽りを好みかつこれを行う者はみな、外に出されている。

 22:16わたしイエスは、使をつかわして、諸教会のために、これらのことをあなたがたにあかしした。わたしは、ダビデの若枝また子孫であり、輝く明けの明星である」。

 22:17御霊も花嫁も共に言った、「きたりませ」。また、聞く者も「きたりませ」と言いなさい。かわいている者はここに来るがよい。いのちの水がほしい者は、価なしにそれを受けるがよい。

 22:18この書の預言の言葉を聞くすべての人々に対して、わたしは警告する。もしこれに書き加える者があれば、神はその人に、この書に書かれている災害を加えられる。

 22:19また、もしこの預言の書の言葉をとり除く者があれば、神はその人の受くべき分を、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、とり除かれる。




そうか、この都の正体は


→ ネットの世界



日本で歌われていた「籠目歌」にも、「籠の中の鳥」という表現がある。


「22」の数字が示すように、

その「籠目」は龍の科学力で構成され、「二重性」を持つ世界だ。


「御子」が「二重の存在」という話も知れ渡るのだろう。


「純粋な崇拝」に必要な「神の名」が精査され、正しい名が都の中に満ちようとしている。


「岩の上」(イハウヘ)に教会を建てる御子が、全てを教える。


新エルサレムは何処に?


→ 籠(ネット)の中に




 22:20これらのことをあかしするかたが仰せになる、「しかり、わたしはすぐに来る」。アァメン、主イエスよ、きたりませ。

 22:21主イエスの恵みが、一同の者と共にあるように。

「囲む」の考察



「囲む」という言葉は、当初


「カゴむ」だったと考える。


「四すみに立つ」という表現が聖書にある。



黙示録7章

 7:1この後、わたしは四人の御使が地の四すみに立っているのを見た。彼らは地の四方の風をひき止めて、地にも海にもすべての木にも、吹きつけないようにしていた。

 7:2また、もうひとりの御使が、生ける神の印を持って、日の出る方から上って来るのを見た。彼は地と海とをそこなう権威を授かっている四人の御使にむかって、大声で叫んで言った、

 7:3「わたしたちの神の僕らの額に、わたしたちが印をおしてしまうまでは、地と海と木とをそこなってはならない」。




「四方の風」を引き止めているとは、


「司法」の風であり


「至宝」の風でもある。



現在の日本が、この状況にあり


「地の四方の風」から連想すれば、それは


「法的な処理」であり、

「祝福と恵み」でもある。



「地」は「選民」


「海」は「諸国民」


「木」は「各種組織」




■評価も糾弾も止められている


囲いの内部では、「額の証印」を押す作業が続き、人員が選ばれている。



黙示録

7:4わたしは印をおされた者の数を聞いたが、イスラエルの子らのすべての部族のうち、印をおされた者は十四万四千人であった。

 7:5ユダの部族のうち、一万二千人が印をおされ、 ルベンの部族のうち、一万二千人、 ガドの部族のうち、一万二千人、

 7:6アセルの部族のうち、一万二千人、 ナフタリの部族のうち、一万二千人、 マナセの部族のうち、一万二千人、

 7:7シメオンの部族のうち、一万二千人、 レビの部族のうち、一万二千人、 イサカルの部族のうち、一万二千人、

 7:8ゼブルンの部族のうち、一万二千人、 ヨセフの部族のうち、一万二千人、 ベニヤミンの部族のうち、 一万二千人が印をおされた。



以下は推測:


ユダ→    湯田・夕田

ルベン→   宇部

ガド→    加藤

アセル→   芦屋

ナフタリ→  名田

マナセ→   真名瀬

シメオン→  島尾

レビ→    海老・畝傍

イサカル→  伊坂

ゼブルン→  西武

ヨセフ→   与瀬

ベニヤミン→ 紅谷


※ 別の候補も含むのだろうか。



囲いが四隅に置かれるという表記から、「USO800」の法則を思い出す。



◉USO800シール 恐るべし!! | 太陽のように♪ ~宇宙の平和を護るのだ~ https://ameblo.jp/pppchannusu/entry-12307055135.html



家の形のような変形五角形アルミ箔シールを「四隅」に貼ると・・・


これが「籠」となり「加護」となる。


地震対策にも、家の四隅(柱など)に貼ればいいとか。


(聖書の教えも実感できる)


「囲い」で「加護井」の法則が実感できるのなら、


「取り入れる価値はある」

これが考察からの結論だ。

世の神の方針



この記述を不思議に思わないだろうか?



創世記6章 (寿命の決定)

6:1人が地のおもてにふえ始めて、娘たちが彼らに生れた時、

6:2神の子たちは人の娘たちの美しいのを見て、自分の好む者を妻にめとった。

6:3そこで主は言われた、「わたしの霊はながく人の中にとどまらない。彼は肉にすぎないのだ。しかし、彼の年は百二十年であろう」。



※ わずか3行で説明が終わっている。


6:1・6:2・6:3


→ 666


「寿命を縮めたこの神は誰?」


そうした疑問に答えた記事を探したが、納得の答えは見つからない。



それでも明らかなのは、この部分。


→ イハ(創造主)じゃない


人類の心より自分の都合で物事を決めているのだから、


親心ではなく


→ 他人の精神



天の神は「親の心を持つ神」だから、子供たちの感情を無視しない。




■テロメアは答えじゃない


寿命に関係する要素として、「テロメア」という仕組みが取り上げられていた。


しかし、答えじゃなかった。



◉|健康長寿| https://www.mnc.toho-u.ac.jp/v-lab/aging/doc2/doc2-07-01.html



寿命は、「他人のような神」により決められたのだ。


その精神を例えると・・・


→ 在庫処分



「店長、在庫をどうします?」


  「『処分』するか」



ブランドに傷が付く。

(処分で対処した)



「命」に対してもその精神・・・


→ ペットショップ

→ 保健所


昔あった「姥捨山」(ウバステヤマ)が、形を変えて続いたのだ。


闇から闇に・・・


そしてこの冷酷が、「世を支配する神」の方針なのである。



日本語にヒントがある。


世→ 夜→ 四→ 四角四面



世の神の勢力は、四(死)の精神。


楽園で人類を騙した「法の組織」であり、「善悪の知識の木」と呼ばれていた。


法を最上位に置く方針により、

人の感情や願いは無視される。


全て、「人情」より「法」が優先なのである。



「期日」という「法」を目安に、生きるか死ぬかが決められている。


結果、人と動物の涙が闇の中で流れ続けた。



「牛よお前の期日が来た」

「肉になれ」


  「モーッ!」




■イエスは温情をもたらした


福音書の御子は、天の神の温情を運んだ。


暖かさが地上にやって来た。



将来、御子の支配に移行すると、イザヤ書が語っていた「神代の奇跡」が始まる。


→ ライオンが藁を食べる


猛獣の変化は、世の神の勢力による「ご都合主義」が終わる・・・という結果を語っている。


「弱肉強食」・「適者生存」とされていた冷酷の世が、暖かい「日向」(ヒナタ)に変えられる。




■瞬時の昼が教えた未来


イエスの三年半は、歴史からすれば稲光のようだ。

(短期間の強烈な光)


その後、「二枚目」の時代になると、「夜」(世)の巻き返しが始まる。


天で「ミカエルの戦い」が生じ、地上支配を続けて来た「冷酷の神々」の梯子が外された。


彼らは投げ落とされ、「神」という称号を奪われ

「単なる鬼」とみなされるようになった。


御子が成し遂げたこの快挙により、イザヤ書が教えていた世界への道が開いた。


世の神が続けていた精神が終わろうとしている。




黙示録21章 (新しい支配)

21:2また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た。

21:3また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、

21:4人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。




『世の神の方針』は過ぎ去る。


闇の中で続いた「在庫処分」の涙を含め、全ての涙が消滅する。


暖かい時代が待ち遠しい。