イハのブログ

神の名を知ってますか?

社会の盲点から自分を守る




「お年寄りはボケが多いね」

  「カビが原因らしいよ」

「えっ?」


・・・


老人の多くは古い家に住んでいる。


「痴呆は歳のせい」と考えられているが、実は古い家に問題があるという見解もあるのだ。


◉部屋の「○○」のカビが体の不調を生んでいる | HEAD STRONG シリコンバレー式頭がよくなる全技術 | ダイヤモンド・オンライン https://diamond.jp/articles/-/169500?_gl=1


以下資料より:


有毒カビがどれほどダメージを加えるかを裏づけるあらゆる証拠があるにもかかわらず、ほとんどの医者は医学部でカビについて学ばず、患者の有毒カビへの曝露を認識できていない。その結果として、マイコトキシンにさらされた症状で苦しんでいる多くの人は、まったくの身体的な病気なのに、たびたび精神病として片づけられ、誤診され、治療されている。


僕は慢性炎症性反応症候群(CIRS)研究の第一人者、スコット・マクマーン博士にインタビューさせてもらった。CIRSはマイコトキシンにさらされて発症することが多い。マクマーン博士は彼の患者の少なくとも半数は、前の医者から「頭がおかしい」とか「症状を空想している」などと言われたと言っている。そのうち多くが抗うつ剤ゾロフトを処方され、その一方でただ追い返された人もいた。その結果、多くの人がうつ状態になったり、自殺まで考えたりしたという。


 だから自分の体の声に耳を傾けること、自分自身を──そして自分の脳を──マイコトキシンから守る術を知ることはとても大切だ。


(引用感謝)




■紫イペがカビから守る


南米の植物「紫イペ」の樹皮から取られ「お茶」に加工された製品が売られている。


これを飲むことで、カビ毒に強い体質になる。



また、農薬や添加物など様々な毒素が体に入ると、不調が起きる。


これに対しアロエが解毒を果たす。


→ 植物のアロエが解毒に寄与する



応急策としてはゲルマニウムやセレン・炭のサプリを飲む。


※ ゲルマニウムは高価なので、セレンを含むサプリを飲むことにしている。(私はオリ○ロのカプセル入りがお気に入り)



■納豆もカビから守ってくれる


納豆菌がカビを食べる。


これを知っている人が、納豆菌を空中に放散する仕組みを考えた。


それは、乾燥した納豆菌を袋に詰めたものである。


この袋を水の中に入れて部屋に置くと、カビの発生を抑止する。


名前は思い出せないが、スーパーあたりに売っていると思う。


また、普段から納豆を食べている人はカビに強い体質が期待できるはずだ。



自分の霊感を研ぎ澄まし、毒だらけの社会を生き延びよう。


これから先、「自然界の仕組みは創造主(イハ)の設計によって成り立っている」・・・そんな理解が広まるはずだ。


それまでは、自己防衛。


社会の盲点から自分を守るのは、自分自身の霊感なのだ。

不可能はない


イエスの言葉の真意が解った。


「信ずる者には」

「どんな事でもできる」



マルコ9章 (もしできれば?)

22 霊はたびたび、この子を火の中、水の中に投げ入れて、殺そうとしました。しかしできますれば、わたしどもをあわれんでお助けください」。

23 イエスは彼に言われた、「もしできれば、と言うのか。信ずる者には、どんな事でもできる」。

24 その子の父親はすぐ叫んで言った、「信じます。不信仰なわたしを、お助けください」。

25 イエスは群衆が駆け寄って来るのをごらんになって、けがれた霊をしかって言われた、「言うことも聞くこともさせない霊よ、わたしがおまえに命じる。この子から出て行け。二度と、はいって来るな」。




悪霊を追い出す場面で、語られている。


23節の「信ずる者」という言葉には深い意味があった。


我々人類は、過去の「状況把握」が必要だったのだ。




■人への「不可能教育」


聖書は、「人が神のかたちに創造された」と教えている。


神には不可能が無い。


ならば、『神のかたち』とされた人にも、不可能は存在しないはずである。



しかし、人類が楽園から連れ出された後、どのような道を歩んだかを思い出そう。


→ 鬼の組織から徹底教育された



鬼は自分の都合に合わせて、人の心に「不可能教育」を施したのである。


常に、こう言われた。


『そんな事ができるのか』

『不可能だ』


この「不可能教育」があればこそ、人の進路に「立ち塞がる不可能」が存在するようになったのだ。




■神でないと不可能だ?


世の神々はこんな態度を示す。


『聞いて欲しいか?』


時には、交換条件。


『生贄をよこせ』



しかし、イエスの言葉を信じるならマルコの聖句にあったように変化する。


→ 信じるなら何でもできる


人には、自力(想念)で何でもできるだけの力が備わっている。


(疑いでブレーキを掛けなければ)



「疑い」の原因は「不可能」を教えた鬼教育。


つまり、鬼教育を離脱するイエスの弟子にはどんな願いも聞かれる・・・という意味になる。




ヨハネ14章 (全て叶う)

8 ピリポはイエスに言った、「主よ、わたしたちに父を示して下さい。そうして下されば、わたしたちは満足します」。

9 イエスは彼に言われた、「ピリポよ、こんなに長くあなたがたと一緒にいるのに、わたしがわかっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのである。どうして、わたしたちに父を示してほしいと、言うのか。

10 わたしが父におり、父がわたしにおられることをあなたは信じないのか。わたしがあなたがたに話している言葉は、自分から話しているのではない。父がわたしのうちにおられて、みわざをなさっているのである。

11 わたしが父におり、父がわたしにおられることを信じなさい。もしそれが信じられないならば、わざそのものによって信じなさい。

12 よくよくあなたがたに言っておく。わたしを信じる者は、またわたしのしているわざをするであろう。そればかりか、もっと大きいわざをするであろう。わたしが父のみもとに行くからである。

13 わたしの名によって願うことは、なんでもかなえてあげよう。父が子によって栄光をお受けになるためである。

14 何事でもわたしの名によって願うならば、わたしはそれをかなえてあげよう。

15 もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを守るべきである。

16 わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。

17 それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。

18 わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。あなたがたのところに帰って来る。

19 もうしばらくしたら、世はもはやわたしを見なくなるだろう。しかし、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからである。

20 その日には、わたしはわたしの父におり、あなたがたはわたしにおり、また、わたしがあなたがたにおることが、わかるであろう。

21 わたしのいましめを心にいだいてこれを守る者は、わたしを愛する者である。わたしを愛する者は、わたしの父に愛されるであろう。わたしもその人を愛し、その人にわたし自身をあらわすであろう」。



「聖霊」の力を引き出せるかどうかは、「立場」で決まる。


鬼の側に留まって「不可能」を信じるのであれば、願いは叶わない。


イエスの側に立ち「願いが叶う」という言葉の意味を心の底から理解する必要がある。


理解できた人には、「何でも叶う」のだ。




■一輪車に乗って


夢の中で、一輪車に乗っている自分がいた。


それは勝手に道を転がって進む乗り物であり、動力無しでドンドン前に進んで行く。


それを「当たり前」のように乗りこなしているという夢であった。


そのエネルギーはどこから?


「聖霊からだ」と思った。



鬼教育が徹底されている状況下であっても、イエスの言葉を信じて「不可能」を排除すれば「願いは叶う」。


鬼と戦いつつ、その道を進みたい。

見えない敵を想定すべし



「交通事故の原因は?」

  「そりゃー脇見とか・・・」

「そうじゃないよ」

  「えっ?」


・・・

インドに知恵者がいた。


◉◉交通事故防止にピラミッドパワー!?インドで半年間実験 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News https://www.afpbb.com/articles/-/2740987?cx_amp=all&act=all&_gl=1



※ すでに、駆け出し部分で効果を確認しているという。


それにしても、「ピラミッドパワー」とは何か?


それは→ 魔物を祓う力



元祖ピラミッドは「ギザ」にある。

遠い先人は、それを知っていた。


日本語に「ギザギザ」という言葉があるが、それは「ギザ」の地名から取られたと推理している。


神社の神殿にも「獅子」(スフィンクス)を思わせる狛犬が寄り添う形。


日本の遠い祖先はエルサレムに住んでいたユダヤ人であり、モーセが率いて脱出する前は「エジプトの地」で暮らしていたと想定すれば、謎が解ける。


相撲も、その頃からの伝統であったはずだ。


相撲 | 日本大百科全書 https://japanknowledge.com/contents/nipponica/sample_koumoku.html?entryid=84


というのは、「相撲」とは聖書に出てくる「ヤコブの組み討ち」が原型だと思われるからである。

(創世記35章25節〜)


後の時代、ヤコブの家族は飢饉を避けてエジプトに移り住む事になったが、そこには王の側近となった「ヨセフ」がいた。


それで一家は、エジプトで好待遇を受け、肥沃な土地を提供されている。


それだけでなく、長であるヤコブが経験した「御使いとの組み討ち」をその土地で昇華させ、相撲文化に発展させたと考えられる。


聖書に記されている組み討ちをリアルに紹介する記事があった。


◉Kogensha News App https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=20170


相撲の始まりはこれである。

聖書を知れば、日本文化が理解できる。


愛媛県の御田植祭も参考に。

(神との相撲を境内で演じる)


このように、先人は目に見えない存在と繋がりを持っており、神と鬼への認識も文化の中に組み入れていた。


そんな日本が、交通事故への対策ではインドに遅れを取っている。


事故も天災も、命がけの問題なのに取り組みはあまりにも世俗的。


「見えない敵」を想定すべし。


急いでインドの知恵に追いつこう。