イハのブログ

神の名を知ってますか?

獣の頭(黙示録)



■獣の国の解明


日本は獣の国だろうか?

明治以後、他国人が天皇の地位に座っていた。


結果、

鬼の喜ぶ戦争をして多くを死なせている。


獣は深く考えない存在。

だが、人はしっかり反省しなければならない。


これは挑戦のための戦争なのか?


そうではない、

日本は「和の国」である。


戦争に関するロジックを入れ替える必要があり、過去に遡って考察すべきだろう。




■「獣」が意味するもの


黙字録に、謎の「獣」が登場する。



黙示録13章

1 わたしはまた、一匹の獣が海から上って来るのを見た。それには角が十本、頭が七つあり、それらの角には十の冠があって、頭には神を汚す名がついていた。



◉黙示録の獣 - Wikipedia https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%99%E7%A4%BA%E9%8C%B2%E3%81%AE%E7%8D%A3



獣の意味は?


なぜ「国家」を『獣』と表現しているのだろう?



この謎を解く夢を見た。




■夢「和の国の戦争」


人々が戦っていた。


あっちの路地でも、こっちの路地でも・・・


私も巻き込まれそうになったので、逃れ道を考えた。


その大義名分がこれ。


「これは和の国の戦争だ」


すると相手は後退を始めた。



路地を進んで、争いのある所に来ると、その言葉を繰り返す。


「これは和の国の戦争だ」


効果があった。



延々とその場面が続いたが、やっと目が覚めた。


セリフが、頭に残っている。


→ これは和の国の戦争だ


日本が経験した戦争は、「和の国」の戦争じゃなかった?


先の戦争は「獣の国の戦争だった」のか?


ここでふと、思い出した。


→ 明治期に天皇が替わっている



民族の脳(首脳)が、他国人に入れ替わると大きな変化が生じる。


日本は、

「和の国」じゃなくなっていた。


その結果、


→ 民の命を使い捨て



和睦を求める人らしさが無く、弱肉強食という「獣」の思考回路で多くの命を散らした。


→ 冷酷


「人らしさ」について、イエスの言葉を思い出した。



マタイ12章 (人の子の心)

6 あなたがたに言っておく。宮よりも大いなる者がここにいる。

7 『わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない』とはどういう意味か知っていたなら、あなたがたは罪のない者をとがめなかったであろう。

8 人の子は安息日の主である」。



これは、現代へのヒントでもある。


鬼が国家を乗っ取り、獣のように冷酷な戦いに追いやる手段として、


「脳」(首脳)を巧妙に入れ替える。


国家を「獣脳」にしてしまう。


「獣」になった国は冷酷になり、自国の中でも「弱肉強食」を許すようになる。


→ 下層部の命を使い捨てる


イエスの言葉はこれを教えていた。


→ 人情喪失


「人の子」は「人間らしさ」を発揮するから、「人」の上に「規則」を置かない。


その意味で、「ユダヤ教指導者」は、温情を無視。

イエスとの衝突を繰り返した



キリスト教→ 人情優先

ユダヤ教 → 規則優先




■他民族が首脳になったら獣化する


自由化はいいが、獣化は


→ 銃火を放つ


明治以降、日本は朝鮮系の天皇に入れ替わった国だ。



その結果、


これは挑戦(朝鮮)のための戦争だと勘違いを起こした。


(「アジアのための戦争」という意味にもなる)


しかし、やり方が無茶過ぎた。


過去に定着した脳の中身を教育し直す必要があるだろう。


言い聞かせる→ これは和の国の戦争だ

(和を重んじ、人間らしく振る舞うべし)



夢は、ロジックを入れ替える必要を教えていた。


「過去を点検せよ」と。


理不尽が生じる時、「獣の脳」が支配している。


自国民を除け者にし、和睦のために後退すべき時も突き進んでしまう。


多くの命が無駄に散る。


→ 散らす者(鬼)の所業




■ソ連とアメリカも獣だった


イエスの時代のユダヤ教は、今もユダヤ人が守っている。


→ 規則を最優先


(安息日には仕事をするな)



ユダヤ人の脳は特別で、彼らが首脳となった国家は「人の子」ではなくなり「獣の様相」を呈すようになる。


キリストの価値観とはまるで違う動き。


黙示録の獣は、そうした意味で現代に登場していた。


→ 一般民衆の上に火の雨


「総力戦」という言葉に騙される首脳は「人の子の心」を忘れている。


こうして、現代の獣は多くの犠牲者を世の神に提供した。


民衆は、首脳が「人の子」であるかどうかを確かめなければならない。


「和を重んじる」


それが人の子の教えであり、獣の頭には理解できないからである。