へんこつな子供
「天の神」が存在するが、遠い。
「地上の神」は、近くにいる。
→ 「周辺の神に助けてもらおう」
これが一般の考え。
しかし、中にへんこつな人もいる。
■近い神に頼らない
例えば、へんこつな子供は妙な行動をする。
ある時、水たまりの手前で転び、そのまま
『バチャーン!』
服が泥だらけ。
それを見ていた近所のおばさんが助け起こして家に連れて来てくれた。
ご親切ありがとうございます。
これで一件落着の場面だったのに。
その子は走って行ってまた泥の上にころんだ。
「おかあさんでないとやだ〜」
『バチャーン!』
■救い主が気に入らない
地上には多くの神々が存在する。
天の神じゃない。
それでもいいから、助けて。
・・・これが普通だ。
「身近な神」→「お手軽な救助」
しかし、本当の母神に助けて欲しいという場合は大変かも知れない。
地上にある一切の救いを無視して、ひたすら天の神を呼び続ける。
鬼と戦いを始めると、この子供のようになってしまう。
■本者志向は救いが遠い
イエスは福音書で、こう教えていた。
マタイ24章
5 多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう。
これは「周囲にキリストが満ちる」という意味だ。
「世の神」はこう告げていた。
『私は全世界を任されている』
こんな状況では、「お手軽な救い」に頼れない。
身近な助けを全て拒否するのだから、
→ 救われてもまた泥の中に
せっかく、キリストの組織が助けてくれたのにそこを出て行く?
・・・
それは「へんこつな子」じゃないか。
誰でもいいから、救ってもらって満足して暮せばどうなのか?
■神の名が目安となる
周囲に満ちている救い主に名を尋ねる。
「あなたの父の名は?」
すると、こんな答え。
「父です」
それは名前じゃない・・・と告げると、こう言われる。
「YHWHです」
「ヤハウェです」
「エホバです」
こうした名が、周囲に満ちている。
つまり「身近な名」しか見当たらない。
へんこつな子供は考えた。
「神は岩」だと聖書が教えている。
身近にある名はすべて合致しない。
そこで彼は調べ尽くし、日本の神の名を読み取った。
岩→ イハ(古語の発音)
ホレブでモーセに名を告げた「後の神」は、彼を促(ウナガ)した。
『岩の上に立て』
→ イハの上
現代人は「イワウエ」だと考えるが、古語では「イハウヘ」と発音する。
「岩の神はイハウヘか」?
「そこに立場を定めよ・・・という教えだ」
へんこつな子供はそれ以降、身近な救いを拒否し続けた。
泥にまみれたままで、大丈夫だろうか?
このへんこつは・・・
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