イハのブログ

神の名を知ってますか?

不可能はない

hiroso


イエスの言葉の真意が解った。


「信ずる者には」

「どんな事でもできる」



マルコ9章 (もしできれば?)

22 霊はたびたび、この子を火の中、水の中に投げ入れて、殺そうとしました。しかしできますれば、わたしどもをあわれんでお助けください」。

23 イエスは彼に言われた、「もしできれば、と言うのか。信ずる者には、どんな事でもできる」。

24 その子の父親はすぐ叫んで言った、「信じます。不信仰なわたしを、お助けください」。

25 イエスは群衆が駆け寄って来るのをごらんになって、けがれた霊をしかって言われた、「言うことも聞くこともさせない霊よ、わたしがおまえに命じる。この子から出て行け。二度と、はいって来るな」。




悪霊を追い出す場面で、語られている。


23節の「信ずる者」という言葉には深い意味があった。


我々人類は、過去の「状況把握」が必要だったのだ。




■人への「不可能教育」


聖書は、「人が神のかたちに創造された」と教えている。


神には不可能が無い。


ならば、『神のかたち』とされた人にも、不可能は存在しないはずである。



しかし、人類が楽園から連れ出された後、どのような道を歩んだかを思い出そう。


→ 鬼の組織から徹底教育された



鬼は自分の都合に合わせて、人の心に「不可能教育」を施したのである。


常に、こう言われた。


『そんな事ができるのか』

『不可能だ』


この「不可能教育」があればこそ、人の進路に「立ち塞がる不可能」が存在するようになったのだ。




■神でないと不可能だ?


世の神々はこんな態度を示す。


『聞いて欲しいか?』


時には、交換条件。


『生贄をよこせ』



しかし、イエスの言葉を信じるならマルコの聖句にあったように変化する。


→ 信じるなら何でもできる


人には、自力(想念)で何でもできるだけの力が備わっている。


(疑いでブレーキを掛けなければ)



「疑い」の原因は「不可能」を教えた鬼教育。


つまり、鬼教育を離脱するイエスの弟子にはどんな願いも聞かれる・・・という意味になる。




ヨハネ14章 (全て叶う)

8 ピリポはイエスに言った、「主よ、わたしたちに父を示して下さい。そうして下されば、わたしたちは満足します」。

9 イエスは彼に言われた、「ピリポよ、こんなに長くあなたがたと一緒にいるのに、わたしがわかっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのである。どうして、わたしたちに父を示してほしいと、言うのか。

10 わたしが父におり、父がわたしにおられることをあなたは信じないのか。わたしがあなたがたに話している言葉は、自分から話しているのではない。父がわたしのうちにおられて、みわざをなさっているのである。

11 わたしが父におり、父がわたしにおられることを信じなさい。もしそれが信じられないならば、わざそのものによって信じなさい。

12 よくよくあなたがたに言っておく。わたしを信じる者は、またわたしのしているわざをするであろう。そればかりか、もっと大きいわざをするであろう。わたしが父のみもとに行くからである。

13 わたしの名によって願うことは、なんでもかなえてあげよう。父が子によって栄光をお受けになるためである。

14 何事でもわたしの名によって願うならば、わたしはそれをかなえてあげよう。

15 もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを守るべきである。

16 わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。

17 それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。

18 わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。あなたがたのところに帰って来る。

19 もうしばらくしたら、世はもはやわたしを見なくなるだろう。しかし、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからである。

20 その日には、わたしはわたしの父におり、あなたがたはわたしにおり、また、わたしがあなたがたにおることが、わかるであろう。

21 わたしのいましめを心にいだいてこれを守る者は、わたしを愛する者である。わたしを愛する者は、わたしの父に愛されるであろう。わたしもその人を愛し、その人にわたし自身をあらわすであろう」。



「聖霊」の力を引き出せるかどうかは、「立場」で決まる。


鬼の側に留まって「不可能」を信じるのであれば、願いは叶わない。


イエスの側に立ち「願いが叶う」という言葉の意味を心の底から理解する必要がある。


理解できた人には、「何でも叶う」のだ。




■一輪車に乗って


夢の中で、一輪車に乗っている自分がいた。


それは勝手に道を転がって進む乗り物であり、動力無しでドンドン前に進んで行く。


それを「当たり前」のように乗りこなしているという夢であった。


そのエネルギーはどこから?


「聖霊からだ」と思った。



鬼教育が徹底されている状況下であっても、イエスの言葉を信じて「不可能」を排除すれば「願いは叶う」。


鬼と戦いつつ、その道を進みたい。