鬼の気配が一段落
この時期、なんだか「のほほん」気分である。
「鬼の邪悪な波動」が途絶え、自分自身も空白状態になっているらしい。
やる気の原動力だった「鬼の敵対波動」が感じられなくなっており、それが生活のペースまで変えてしまった。
しかし、いつまた盛り返すか不明なので、油断は禁物だが。
■鬼の居ぬ間に洗濯
昔の人々は、よく理解していたと思う。
現代の理解はこれ。
【鬼の居ぬ間に洗濯】
遠慮する人のいない間に、命の洗濯をする。思う存分心をくつろげることにいう。
現代人は、「鬼の実在」を忘れており、学校で教えられる進化論でボケ状態。
先人は鬼の事情をよく知っていたから、鬼への緊張は研ぎ澄まされていた。
「また、妙な風が吹いてきたぞ」
※ この感覚は、福音書にある。「湖の嵐」を「鬼の風」と教えられた弟子たちが、日本まで持って来たと考えている。
他方、現代人は「煙たい上司」を「鬼」と呼んでいるのだが、これは油断。
「目に見えない鬼」に向けての用心を張り詰めなければ、操縦されるだろう。
男鹿半島における「ナマハゲ」という催しも、今は観光資源だとか。
◉なまはげの由来とは? 起源と歴史をやさしく解説 https://magazine.sbiaruhi.co.jp/0000-5571/
■気付かれたくない「鬼心理」
日本には「忍者の文化」がある。
黒装束を纏い、闇に紛れて情報を集め、政敵を倒していた。
これを隠密(密偵)という。
【隠密】オンミツ・インミツ
(忍びの者・間者)
南北朝時代からあり、武士ではあるが身分は低かった。伊賀者、甲賀者として、江戸時代にもこの伝統がある。隠し目付。忍び目付。庭番。
相手に悟らせず、秘密工作を行い、歴史を変えてしまう存在である。
諸外国ならスパイの類であるが、隠密はもっと闇に隠れている。
見えない相手を想定する日本文化の観念は、鬼にとって都合が悪い。
それで今、徐々に消え去りつつある。
(鬼に消されている)
「鬼の気配が一段落」とはいえ、油断すればその代償はとてつもなく大きい。
身構える姿勢を失わず、御子の再臨をお出迎えしたいと思っている。
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