魔を祓うなら「天の神」に頼る
奇妙な夢を、ずっと見ていた。
コンビニの模様替えの現場だ。
その意図は?
「魔物を祓いたい」
確かに、
「魔物が店舗に住み着く」という現象も、現代社会には多くある。
こうした店は、なにか奇妙な波動が生じている。
これに関して、日本の先人は敏感だった。
■「悪霊退散」の基本
明治からは鈍感になってしまったが、それ以前の日本人は、目に見えない生命体が人をいたぶる現象に理解が深かった。
進化論で抜けてしまった現代人より、遥かに知的なのである。
◉破魔弓の意味は「魔除けと厄祓いのお守り」その歴史と由来を解説 | 人形の東玉 https://www.tougyoku.com/syougatsu-kazari/hamayumi/hamayumi-column/hamayumi-imi/
以下資料より:
お正月時期に行うこと、飾るものや食べるものに込められた意味は日本に古くから伝わる「節句(せっく)」と深い関係があります。 節句は古代中国から伝わった思想に日本の宮中行事が合わさった、神祭を執り行う重要な意味を持つ日で、昔はたくさんの節句がありました。
関連記事:「5月の端午の節句は「陰陽五行説」の五節句に由来します」 節句と言うのは季節の変わり目のことで、日本では昔から季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると信じられていました。
ですから節分には、邪気を追い払うための「悪霊祓い」や「厄祓い」の意味を持つ行事が多く執り行われていたのです。
時期のものを供物として神に捧げていたことからきています。
そして人々は無病息災を願い、供え終わった供物を頂いて滋養をつけるようになったのです。
病気になることも、邪気や魔物と関係があると考えられていましたから、節句の時期には「厄除け」の意味を持つ行事をしたり、家に「縁起もの」を飾ったり飲食したりと言う風習も生まれました。
現代にも残る節句は、
1月7日の人日(じんじつ)、
3月3日の上巳(じょうし)、
5月5日の端午(たんご)、
7月7日の七夕(しちせき)、
9月9日の重陽(ちょうよう)
の5つで、まとめて「五節句(ごせっく)」と呼ばれています。
(引用感謝)
鬼の憑依は「気のせい」じゃなく、科学者がその実態に気付いて「いない」だけ。
その点、日本には「安倍晴明」などの熟達した知恵者が存在していた。
(ここから学べる)
見えない魔物に「式神」と呼ばれる霊をぶつけて追い払うのが安倍晴明の手法。
これを、「スケワ」という祭司の息子たちが試みて、ひどい目にあわされた。
使徒言行録19章(怖い神を使った結果)
11 神は、パウロの手によって、異常な力あるわざを次々になされた。
12 たとえば、人々が、彼の身につけている手ぬぐいや前掛けを取って病人にあてると、その病気が除かれ、悪霊が出て行くのであった。
13 そこで、ユダヤ人のまじない師で、遍歴している者たちが、悪霊につかれている者にむかって、主イエスの名をとなえ、「パウロの宣べ伝えているイエスによって命じる。出て行け」と、ためしに言ってみた。
14 ユダヤの祭司長スケワという者の七人のむすこたちも、そんなことをしていた。
15 すると悪霊がこれに対して言った、「イエスなら自分は知っている。パウロもわかっている。だが、おまえたちは、いったい何者だ」。
16 そして、悪霊につかれている人が、彼らに飛びかかり、みんなを押えつけて負かしたので、彼らは傷を負ったまま裸になって、その家を逃げ出した。
17 このことがエペソに住むすべてのユダヤ人やギリシヤ人に知れわたって、みんな恐怖に襲われ、そして、主イエスの名があがめられた。
聖書中の人々も、「見分け」ができていない。
「見分けのコツ」は、イエスが直弟子にだけ教えた秘儀であるためだ。
イエスが昇天し、パウロという人物が会衆に入り込んだ。
ここで注意を必要とする。
敵の心理を考えよう。
→ 「後釜」を狙っている
(イエスの弟子たちを奪いたい)
それは、最大の偽善を使う相手である。
騙されてはならない。
人は、眼の前で不思議な現象を見せつけられると、何もかも「神の技」だと考えてしまう。
しかし、そうじゃない。
ここで、「安倍晴明」が「式神」と呼ばれる「魔物」を配下にしていた話が参考になる。
魔物を使って悪霊祓い→ 魔術
つまり、魔術を使えば悪霊に対処できるが、それは天の神の力ではない。
地上の神→ 神に化けた存在の助力
過去の日本人は、それを見分ける目を持っており、現代人が陥っている危険な盲目行為を避けていた。
■「盲目行為」とは?
「スケワの息子たち」が行った悪霊祓いは、「地上の神の勢力」に頼っていた。
パウロの後ろにいたのは、イエスが「世の神」と呼んでいた相手だった。
墓の前の「二枚目」は、自分がイエスであるとは一言も口に出さず、弟子たちに信じ込ませている。
なぜ?
「私はイエスだ」と言えば
→ 嘘になる
『神』が嘘をつけない。
彼らは元々、「善悪の知識」を教える教師たちであり、自分の教えと矛盾する「嘘つき」にはなれないのだ。
その理想は→ ガチガチの正義
しかし、心は氷のように冷たく、人を操って戦争や疫病、大虐殺に投げ込むのも平気。
安倍晴明は、こうした危険な勢力を力でねじ伏せ、駆使できた。
その妻は、彼の行いを願い下げしている。
「やめてください」と夫に言う。
そのため、安倍晴明は式神を家に入れず、橋の下で待機させていたという。
■分断された会衆
イエスが去ってからの会衆は、天の神に従う勢力と世の神が演じる「モドキのイエス」に二分されてしまう。
※ このうち、生きていたイエス(一枚目)しか信じない弟子たちは、エルサレムの滅びを抜け出して日本に来た。
・・・だから日本の先人は魔物の正体を知っていたし、それが神に化けることも読み抜いていた。
日本にある言い回しを分析しよう。
→ 助平心
これは元々、スケワの息子(スケ・ベン)という意味だった。
パウロが使っていた相手は、恐ろしい。
「お試し」で自分たちを使う相手に食って掛かった。
しかし、力を持つ相手には従う。
ここが安倍晴明と重なっているのである。
■弟子たちでさえ騙された
我々は、イエス以後の偉人がどれほど出現しようと、一度は疑ってかからねばならない。
結局、「悪霊(魔物)が憑依」した場合、それを追い払う手は二つある。
(現に使われている)
→ 魔物で魔物を祓う
→ 天の神の権威で祓う
どちらを選ぶべきだろう?
我々は、天の神の名を知っている。
→ イハウヘ
(御子は白石宇井)
迷うことなく、天の権威に頼りたい。
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