鬼と戦う者が知るべき事
知っているようで知られていない事がある。
それは
→ 鬼がなぜ神に化けるのか
その理由。
神に化けた鬼は、このように命ずる。
『あなたの愛する者を捧げよ』
聖書では、「一人息子のイサクを捧げよ」とアブラハムが告げられ、忠実なアブラハムはそれを実行しようとした。
「動物の犠牲」という精神も同じ。
「傷のない動物を捧げよ」と命じている神は誰なのか?
天の神(創造主)イハは、それを求めていない。
「わたしは犠牲を求めない」とホセアの6章に書かれている。
イエスもそれを教えていた。
(後述)
聖書を注意深く読まないと、鬼を『神』だと思い込む。
多くの人が、「神の振りをする鬼」を『神』と勘違いするのである。
マヤ・インカ・アステカなどでは選ばれた若者が次々と犠牲にされた。
その特徴は「栄誉」。
「あなたは神に選ばれし人」
国家全体が心底、彼らの栄誉を称えているからこそ、その風習は長年続いた。
この神経は、信じられないだろうか?
実は日本も鬼の風に靡いた国である。
「切腹申し付ける!」
殿様から、些細な事で「死ね」と命じられたら反抗できないのがサムライである。
■特攻隊の栄誉(?)
「名誉の死」という考えは、海外で「ロンメル死」と呼ばれているが、罪のない人ほど鬼は喜ぶ。
→ 傷のない動物と同じ
日本の神風特攻隊は、国家のため御上(天皇)のため喜んで命を捨てた。
「立派に死のう」
しかし、国家は敗北。
彼ら個人は銃後の人々を守るための死であったとされるが、早い段階で国が停戦交渉を行うチャンスもあったはず。
しかし、意味のない「バンザイ突撃」も含めて、多くの命がお上の黙認によって消え去っている。
それはアブラハムへの要求と同じであり、無駄死にが多いほど鬼は喜ぶのである。
『よろしい』
『忠実に、我が意志に従った』
人の命が非常に安っぽく扱われている。
疑問が生じるだろう。
「本当の神はなぜ守らない?」
それは、「名を呼ばない」からである。
(名を消されて、呼べなくされていた)
楽園を出た人類は、鬼の懐に入っており、鬼は決して創造主とのコンタクトを許さない。
『お呼びじゃない』
国家が鬼神に支配されると、「命を散らす事」に目的があるので、戦争での勝利はそっちのけ。
鬼神支配の特徴である。
創造主は、こう告げている。
「わたしは犠牲を求めない」
創造主の喜びは、配下を守る事にある。
(敵を追い散らす)
ホセア6章
6 わたしはいつくしみを喜び、犠牲を喜ばない。燔祭よりもむしろ神を知ることを喜ぶ。
※ 「神を知る」とは、イエスが教えた「父の名」(イハウヘ)を取り戻す事でもある。
創造主は、雌鳥が雛を保護するように、民衆を守りたい。
(イエスが父の代理としてそれを教えた)
創造主に背を向け、多くの人を死なせる行為こそ、失礼。
鬼を『神』と勘違いし、歴史上どれほど多くの命を散らせてしまったのか?
その全ては、神の名を消され、別の名にすり替えられた結果、生じている。
人々が呼ばなければ、創造主の出番が来ない・・・鬼はそれを知っている。
神(イハ)への犠牲とは?
→ 弱者を愛する御子を見習う
(平和の君の教えを守る)
マタイ9章
10 それから、イエスが家で食事の席についておられた時のことである。多くの取税人や罪人たちがきて、イエスや弟子たちと共にその席に着いていた。
11 パリサイ人たちはこれを見て、弟子たちに言った、「なぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人などと食事を共にするのか」。
12 イエスはこれを聞いて言われた、「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。
13 『わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、学んできなさい。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」。
・・・
貧者は阻害され、犠牲になりやすい。
鬼は常に、清く正しい貧者を狙っている。
神の名を取り戻した民衆には、「神への犠牲」の真意が理解できるだろう。
我々は鬼と戦う者。
知るべき事は、「神に化ける鬼」の心理であり、「雲」を見分け、戦いに勝利しなければならない。
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