イハのブログ

神の名を知ってますか?

鬼の風を検証する



「不思議だ不思議だ」という声がありつつも、多くの命が消し飛んでしまう・・・


それが「戦争」。


今でも公式な答えが出せないでいる。


暴走の理由は?




■「隠蔽する者」の気配


光を隠す存在を「闇雲」と呼べる。


漠然としているだろうか?


人々は、「科学的な説明」という言葉に弱く、頭が思考停止してしまう。


逆に「宗教的見地」と言えば、「怪しさ満点」と言って耳をふさぐ。


しかし実は、後者の方に答えがある。




■疑問点に答えが出ていない


詳細な記事を拾い集めると、全容を把握できるだろうか。



◉第37話「日本という怪しいシステムに関する一見解」 http://www.ibaraisikai.or.jp/information/iitaihoudai/houdai37.html


以下資料より:


第37話: USA第51州の実態 【日本という怪しいシステムに関する一見解】

(初稿1999.10.29)

※ 筆者は日本人でありながら、どうしても昭和以後のこの国が好きになれない。 一体それはどこから来るのだろうか?。

小さい島国で飽くことなく続いた権力闘 争のなれの果ては、あの残忍な秦の始皇帝も顔負けの官僚制度を生みだした。


そして現在、政財官トライアングル(=権力階級)は資本主義と社会主義を極めて巧妙に組み合わせ、しかも情報統制(非公開、隠匿、操作)をもって国民を 飼い馴らしている。


いまや日本は権力階級の「私物国家」に成り果てており、殆 んどの国民が惰眠を貪っているあいだに、徐々に構築された巨大なピラミッド型 の「一億総『潜在能力』搾取・没収システム」が民主主義の萌芽さえ阻んでいる。


まさに「国民の命を蹂躙し翻弄する」という表現がピッタリの「日本という怪 しいシステム」の本質を分析してみた。

( 『潜在能力』とは社会の枠組みの中で、今その人が持っている所得や資産 で将来何ができるかという可能性のことである。


・・・


こちらの資料も詳細。



◉戦後75年 戦争体験の継承は何のためなのか〜命の価値があまりに軽かったあの時を知る〜 #戦争の記憶(宮本聖二) - エキスパート - Yahoo!ニュース https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/0aa557410dfffae718c325d9e9423cb4eaa34927


なぜ日本人は戦争を受け入れたのか


そもそも、なぜ戦争体験を継承する必要があるのでしょうか。 日中戦争から太平洋戦争は、日本人310万人、アジア太平洋地域では1000万人から2000万人もの人命を奪った、もう決して起こしてはならない破滅的な出来事だからです。


あの時、戦争を引き起こした日本では、曖昧な態度を取り続けた国家指導者の元で、明治以来積み上げてきた八紘一宇などの独りよがりな思想で他国、他地域への覇権を肯定する教育と思想を行き渡らせて、国民が戦争を熱狂的に受け入れていました。


当時のメディアもその時代の空気をあおる伴走者となっていました。 戦争による理不尽な命のやり取りにとどまらず、そうした状況を生み出したこと、その仕組みを二度と招来してはならないと強く思うのです。


一人一人が自ら獲得した思考をもとに判断することが尊重され、他者を認めて、分断ではなく共有と包摂の社会を実現する、戦時とは真逆の社会であることが必要ではないでしょうか。


なぜあの時“命”は軽く扱われたのか


あの戦争では、人命を軽視したことによる事象は枚挙にいとまがありません。

ここでは、「捕虜」をキーワードにして考えてみましょう。戦争体験者に話を聞いた時、特に戦場の体験者は「捕虜」について言及することが少なくありません。

そして、「捕虜」と「人命の軽視」は裏腹の関係でした。 当時の日本では捕虜になることを徹底的にタブー視しました。


開戦の年、1941年1月に東条陸相によって示達された「戦陣訓」という兵士への教えがあります。 この一節に「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず 生きて罪過の汚名を残すこと勿(なか)れ」と書かれていました。


文字通り、捕虜になることを厳しく禁じたものです。


(引用感謝)



「桜のように散る」という価値観が喧伝され、人々は風に靡く葦のように従順だった。




■イエスの言葉に答えがある


「風に靡く葦」が民衆だとすれば、その「風」はどこから来るのだろう?


これを子どもたちに徹底して理解させなければ、いつかはまた葦の靡きが生じてしまう。


命と財産の損失は計り知れない。


ならば人々は、「風」についてしっかり把握していなければならない。




ヨハネ3章 (霊者と風)

8 風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生れる者もみな、それと同じである」。




把握できない「風のような存在」が、「戦争の風」を吹かせて社会を靡かせる。


その「風」は「霊的存在」であり、人の心を念波で操れるのだ。


特に「山の頂点」(殿上人)が操縦され、社会の風潮を作り出す。


一度暴走が始まってしまえば、個人や団体が阻止できるものではない。


まるで、牛や豚の群が暴走するように収拾がつかないまま破壊的結末に至ってしまう。



風が吹いても動じない人は、予備知識をしっかり蓄えている人である。


一番肝心なのは、権力の頂点が操縦されない事。


もし権力の山を暗雲が包んでいるとしたら、


それは暴走の気配・・・


その時、目覚めている者は本当の山に逃げるしかない事をイエスが教えていた。




■鬼の目的は生贄


風のような霊者(鬼)は常に生贄を欲している。


怪しい宗教からは多くの生贄が得られるので、鬼はその組織に追い風を送って拡大させる。


国家全体が「怪しい宗教」を構成した戦時体制は、「風に靡く葦」そのものであった。


では、個人による鬼への対処など不可能だろうか?


そうではない。


鬼は闇の中で生きており、光に来ない。


もし光が溢れる社会であれば、鬼はそこから逃げ去るだろう。


光→ 情報


現在、ネット社会が生じている理由は終わりの日の備え。


個人のスマホで全てが掌握できる。


鬼は過去、マスコミを牛耳って社会を操縦して来たが、天の勢力はマスコミに対抗できる光のネットを与えてくれている。


個人であっても、今は情報発信で光を放ち、鬼の闇を打ち破れるのだ。


『鬼の風に向けた検証』も可能となり、それが社会を暴走から守るだろう。


光の戦士たち・・・


もう二度と鬼の自由にはさせるまい。