イハのブログ

神の名を知ってますか?

エドムへの試行錯誤

hiroso


日本は「岩の国」。


だから「岩の裂け目」という場所も日本にあるはずだ。


以下を参考にさせていただいた。



エドム滅亡の預言とその理由 - 牧師の書斎 https://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%A0%E6%BB%85%E4%BA%A1%E3%81%AE%E9%A0%90%E8%A8%80%E3%81%A8%E3%81%9D%E3%81%AE%E7%90%86%E7%94%B1




以下資料より:


オバデヤ書 2


見よ。わたしはあなたを国々の中の小さい者、ひどくさげすまれる者とする。


3 あなたの心の高慢は自分自身を欺いた。あなたは岩の裂け目に住み、高い所を住まいとし、「だれが私を地に引きずり降ろせようか」と心のうちに言っている。

4 あなたが鷲のように高く上っても、星の間に巣を作っても、わたしはそこから引き降ろす。──【主】の御告げ──

5 盗人があなたのところに来れば、夜、荒らす者が来れば、あなたは荒らされ、彼らは気のすむまで盗まないだろうか。ぶどうを収穫する者があなたのところに来るなら、彼らは取り残しの実を残さないだろうか。

6 ああ、エサウは捜し出され、その宝は見つけ出される。



ここでの、「エサウ」は誰だろう?



7 あなたの同盟者がみな、あなたを欺き、あなたを国境まで送り返し、あなたの親しい友があなたを征服し、あなたのパンを食べていた者が、あなたの足の下にわなをしかける。それでも彼はそれを悟らない。


8 その日には、──【主】の御告げ──わたしは、エドムから知恵ある者たちを、エサウの山から英知を消し去らないであろうか。

9 テマン(=エソウの長子であるエリファズの長子)よ。あなたの勇士たちはおびえる。虐殺によって、エサウの山から、ひとり残らず絶やされよう。

10 あなたの兄弟、ヤコブへの暴虐のために、恥があなたをおおい、あなたは永遠に絶やされる。




※ これは、日本内部に住んでいる人々・・・

とすれば、「在日」という存在が思い当たる。


勘違いしないで欲しいのだが、これは在日への攻撃ではない。


むしろ、友人には気のいい在日が多くいるので、彼らの行く末を心配しているのである。


「ヤコブへの暴虐」というのは、一部の暴徒による行為であり、神はそれを十把一絡げに扱わないはずだ。


聖句には色々な意味が重なっているはずなので、ここでの解釈が全てではない。



資料にはこう書かれている。


◉「エドム」とは、エサウの子孫の総称であると同時に、神に敵対する勢力、あるいは、歴史における反ユダヤ主義的勢力を象徴しています。


しかしオバデヤ書の中に記されていることを知るならば、よく理解することができるのです。


エサウとヤコブとの兄弟間の確執が最も鮮やかに表わされたは、バビロンによるエルサレムの崩壊の時だったからです。


彼らはB.C.586年にエルサレムを滅ぼした敵であるバビロンに加担し、先に立ってヤコブの子孫に対して殺戮と暴虐を加えたのです。


詩篇137篇の「エルサレムの日に」とあるのは、「エルサレムが主によって回復される日に」とも解釈できます。


すなわち、メシア王国が実現する日です。




オバデヤ書では、以下のように、エドムの完全な滅びが預言されています。


①10節「あなたの兄弟、ヤコブへの暴虐のために、恥があなたをおおい、あなたは永遠に絶やされる。」


②18節「エサウの家には生き残る者がいなくなる。」



アモス書においても、エドムの滅びの預言が語られています。



アモス書1章11~12節 11


【主】はこう仰せられる。「エドムの犯した三つのそむきの罪、四つのそむきの罪のために、わたしはその刑罰を取り消さない。


彼が剣で自分の兄弟を追い、肉親の情をそこない、怒り続けていつまでも激しい怒りを保っていたからだ。


12 わたしはテマンに火を送ろう。火はボツラの宮殿を焼き尽くす。」



●ここには容赦のない神のさばきが強調されています。


「取り消さない」と訳されたヘブル語は「ロー・シューヴ」(לֹא שׁוּב)で、「撤回しない」(岩波訳)、「後へは引かない」(関根訳)、「ゆるさない」(口語訳)、「決してゆるさない」(新共同訳)、「容赦しない」(フランシスコ会訳)とも訳されています。



最後に、エドムに対する完全なさばきを強調しているオバデヤ書の5節を見ておきたいと思います。


5 盗人があなたのところに来れば、夜、荒らす者が来れば、あなたは荒らされ、彼らは気のすむまで盗まないだろうか。ぶどうを収穫する者があなたのところに来るなら、彼らは取り残しの実を残さないだろうか。



●5節の意味は、盗人であっても必要なものだけを盗むであろう。ぶどうを収穫する者も必ず貧しい人々のために取り残しをするものだ。


しかし、エドムのために残れるものは皆無であることが強調されています。



2. エドムが永遠に絶やされるその理由とは エドムが神のさばきによって「永遠に絶やされる」その理由があります。それは以下の二つです。



(1) 心の高慢


オバデヤ書3節

 あなたの心の高慢は自分自身を欺いた。

あなたは岩の裂け目に住み、高い所を住まいとし、「だれが私を地に引きずり降ろせようか」と心のうちに言っている。

・・・


エドムは「岩の裂け目に住み、高い所を住まい」とする地形的に堅固な岩のとりでが多く、その利点と過信から他国から攻撃を受けないと信じていたようです。



その心の高慢を主は指摘し、「わたしはそこから引き降ろす」と宣告しています

(4節)。




(2) 同胞に対する災難を喜んだこと


オバデヤ書10~14節


 10 あなたの兄弟、ヤコブへの暴虐のために、恥があなたをおおい、あなたは永遠に絶やされる。

11 他国人がエルサレムの財宝を奪い去り、外国人がその門に押し入り、エルサレムをくじ引きにして取った日、あなたもまた彼らのうちのひとりのように、知らぬ顔で立っていた。

12 あなたの兄弟の日、その災難の日を、あなたはただ、ながめているな。ユダの子らの滅びの日に、彼らのことで喜ぶな。その苦難の日に大口を開くな。

13 彼らのわざわいの日に、あなたは、わたしの民の門に、入るな。そのわざわいの日に、あなたは、その困難をながめているな。そのわざわいの日に、彼らの財宝に手を伸ばすな。

14 そののがれる者を断つために、別れ道に立ちふさがるな。その苦難の日に、彼らの生き残った者を引き渡すな。



・・・

実際には、エドムはその日に、ただ傍観し、それを喜び、大口をたたき、財宝に手を伸ばしてそれを略奪し、またエルサレムから逃れたユダの人々を捕らえてバビロンに引き渡したのです。


このことのゆえに、15節では「主の日は・・・あなたがしたように、あなたにもされる。あなたの報いは、あなたの頭上に返る。」と宣告されています。



(引用感謝)





■「日本」苦難の日に


日本をエルサレムと呼ぶのは神。


戦争に負け、国民が苦しんでいた日、兄弟と目されるエドムの子孫がヤコブの民を見捨て、略奪に加担した。


これに関する分析は、戦後日本を知る上で避けて通れない。



解明には、在日という存在が無視できない。


もし聖句が朝鮮族をエサウとしているなら・・・の話だが。



敗戦のドサクサに、彼らの一部がひどい略奪や暴虐を行ったのは確かだ。


※ これについて、「仁義なき戦い」という映画が教えている。




■兄弟なのに?


朝鮮族は、十部族のレビであったと考えると、確かにユダ族とは兄弟。


それが「高い所」(政治上層部)に上り詰め、日本の庶民を冷遇していた現状が最近見えて来た。


「岩の裂け目」は宗教に身を置く権威者。


終わりの日に、高い所にいる彼らは、岩の裂け目で無事に過ごせるだろうか。



◉「同和のドン」はいかにして誕生したか…話題騒然の「上田藤兵衞」本に登場する暴力団幹部の実名を明かす《人権と暴力の戦後史》(伊藤 博敏) | 現代ビジネス | 講談社(2/4) https://gendai.media/articles/-/105826?page=2


以下、資料より:


〈戦勝国、中立国のいずれにも属さず、戦時中には日本の統治下にあった韓国、台湾人など「第三国人」と呼ばれる人々のなかには、終戦直後、敗戦国日本に、それまでの憤懣(ふんまん)をぶつけるように乱暴狼藉を働く者がいた。


取り締まるべきは警察だが、まだ装備人員とも揃っていない。彼らは、トラックなどで大挙して警察に押しかけ、逮捕された仲間を強引に連れ去るようなこともやってのけた。


警察に協力してそれに立ち向かったのは、神戸・山口組、新宿・関東尾津組など全国各地の任侠組織だった。


京都で、図越が配下を率いて戦ったのが七条署事件である。


終戦翌年の’46年1月、七条署署長の意を受けて図越の家にやってきた旧知の警部補が、「親父さん、助けてほしいんですわ」と、頭を下げた。


(引用感謝)



※ 在日ヤクザは、高利貸し・取り立て屋などに群がり、パチンコ業界にも関係が深い。


金融に強いこの勢力が庶民をいたぶるという図式もある。


やがて、終わりの日には、こうした勢力は消え去るのか。


※ ただし、「善の在日」は神が切り分ける。悪の在日のみに鉄槌が下される。

(予想)



つまり、「エサウ」という表現は、聖書におけるヤコブの「双子の兄」を表しているが、ヤコブから出た民が難儀に苦しんでいる時、それを眺めているだけでなく、むしろ弱みにつけ込んで略奪や搾取を行った勢力を意味している。


その行いに手を染めた者は、敗戦後の日本における在日の一部に当てはまり、荒廃した日本は確かに「ヤコブへの暴虐」を経験している。



しかも今、政治中枢の多くは在日が占めているという。


→ 「高い所」に住み


庶民のための政治がお留守になる理由もここにある。


※ 「善意の在日は除外」

在日であっても善意の庶民は「高い所」に住んでおらず、岩の裂け目にも隠れていない。


・・・


聖書的考察を日本に当てはめようとする時、こうした考察は避けて通れない。


「エドムへの試行錯誤」が正しいかどうかは、この先で明らかになるはずだ。


岩の神「イハウヘ」と御子である「シロ」の光明に期待しよう。

二つの神と幼児の心

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出エジプト記6章3節には、こんな記述がある。


指導者に選ばれたモーセに、神は告げた。



「私は“主”である。わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに全能の神として現われたが、“主”という名では、わたしを彼らに知らせなかった。」(出エジプト記6:3)



奇妙な表現だが、重要。


※ 「主」の部分は「YHWH」で置き換えされている。




■前の神・後ろの神


聖句は、前後で「名が違う」と教えている。


前の名は→ アブラハムが聞く

後の名を→ モーセに教えた


聖書では神の存在が重なっているが、実は「神の名が違う」のだ。



アブラハム・イサク・ヤコブが聞いていた名は、「全能の神」(エル・シャダイ)というのが定説。


エル・シャダイ ( ヘブライ語: אֵל שַׁדַּי‎ 、El Shaddai、IPA:[el ʃaˈdaj])または単にShaddai)は、ユダヤ教の神が『出エジプト記』3章14節でモーセにיהוה(ヤハウェ)という名を告げるまでの呼び名。「全能の神」「満たす神」の意。

(資料ウィキペディア)



また、「シャダイ」には「悪い意味」もある。


■「破壊者」の意味を含む


  語根とされる「シャダド」(שדד)は略奪、圧倒、または荒廃させることを意味することから、シャダイが神の側面の「破壊者」を意味し、形容詞の働きをしたとされる。(ウィキペディア)


日本語でもヒントが得られる。


→ 遮蔽・遮断


この神は、天との「遮断壁」というヒントである。



モーセに告げた名は、「YHWH」という符丁で包まれ「謎」であった。


学者がそれを解明すべく努力し、結論したのが「ヤハウェ」。


ところが、日本古語から解明すると


→ 「イハ(の)上」(イハウヘ)


つまり、モーセは「岩」(古語でイハ)という名の神に引き寄せられ、その立場に立ったのだ。



その後、エジプトを脱出した選民はホレブの荒野に到達。


そこにあった山から、モーセにお呼びが掛かった。



一度目の登山で「暗雲の神」が民の背教を指摘。


モーセは山を降りて粛清し、多くの背教者を処分した。


この時のモーセには「角が生えていた」と読む。


※ 日本には、天皇が「神の妻」を演じる大嘗祭があるが、モーセも「神の妻」という立場だった。


その「妻」が角を生やして背教者を根絶やしにした。


これを恐れた選民は、歴史の中で「妻の角隠し」という風習を続けている。


→ 文金高島田



そしてモーセが前の神から与えられた契約の石(十戒石)は激怒するモーセによって割られた。


「お前たちにこれを受ける資格は無い!」


結果→ 前の神との契約破棄




■穏やかな後の神


以下は「二度目の登山」で出会った神。


モーセの態度が、以前と違っていた。



出エジプト記33章

15 モーセは主に言った「もしあなた自身が一緒に行かれないならば、わたしたちをここからのぼらせないでください。



モーセはなぜ、この神に「いつも一緒に」を願ったのだろう?


それは、前の神の冷たさを痛感したモーセが、後の神の暖かい雰囲気に触れたからだった。


子が親を慕い求めるかのような気持ちになったのだ。


「ああ、この神がいつも一緒にいてくだされば、どんなに嬉しいか・・・」


モーセは、前の神から選民を引き離したいと思っただろう。


後の神にお願いしている。



16 わたしとあなたの民とが、あなたの前に恵みを得ることは、何によって知られましょうか。それはあなたがわたしたちと一緒に行かれて、わたしとあなたの民とが、地の面にある諸民と異なるものになるからではありませんか」。



純粋なモーセの心が読めた神は、その嘆願が解っていた。



17 主はモーセに言われた、「あなたはわたしの前に恵みを得、またわたしは名をもってあなたを知るから、あなたの言ったこの事をもするであろう」。

18 モーセは言った、「どうぞ、あなたの栄光をわたしにお示しください」。

19 主は言われた、「わたしはわたしのもろもろの善をあなたの前に通らせ、主の名をあなたの前にのべるであろう。わたしは恵もうとする者を恵み、あわれもうとする者をあわれむ」。

20 また言われた、「しかし、あなたはわたしの顔を見ることはできない。わたしを見て、なお生きている人はないからである」。



ここで、奇妙な指示がある。



21 そして主は言われた、「見よ、わたしのかたわらに一つの所がある。あなたは岩の上に立ちなさい。

22 わたしの栄光がそこを通り過ぎるとき、わたしはあなたを岩の裂け目に入れて、わたしが通り過ぎるまで、手であなたをおおうであろう。

23 そしてわたしが手をのけるとき、あなたはわたしのうしろを見るが、わたしの顔は見ないであろう」。



後の神の傍らにある「所」とは?

(岩の上)



「岩の上に立て」とは何か?


日本人なら理解できる。


「立場替え」を意味する言葉である。



それまで「前の神」の側にあった選民を、「岩」(イハ)という名の創造主の側に立場替えをする・・・そんな意味だ。


以降、選民は人類の親神に契約が移ったのである。


(諸国民はこの限りではない)


その後、アダムと同等の命を持ったイエスが選民の都に来て、メシアとして最後の犠牲となる。


イエスによって、エデンから始まった世の神との契約は完全に破棄された。



それにしても、選民の神は暖かい。


もし「冷たい」と感じる時には、前の神に引っ張られているはずだ。


「支配の暖かさ」は、神の感触を確かめる手段であり、決して誤魔化しが効かない。


「いつも一緒にいて欲しい」


この言葉が口に出るようなら、体感温度の見分けができている。


幼児の霊感で二つの神を見分け、騙される事なく後の神の名を呼ぼう。


「イハウヘ」

(幼児の心で)


岩の上に建つ御子の城(シロ)に、避難所が準備されている。

セミと選民

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神のシャレかな?

こんなヒントを得た。


→ セミ(蝉)は選民


彼はずっと、「地の中」にいた。


すると、脱皮は夏かな?



突然、世界を舞台にして鳴き始める。


ミーンミーンミーン

ツクツクボウシ


どっちが十部族で、どっちがユダ族?




■抜け殻も歴史に残る


蝉の「抜け殻」も、捨てられない。


子供の部屋に行くと、大切に保管されている。


そういえば、そんな国もあった。

一つの思い出だ。


八十八夜あたりに、救いの期待。

(これはイエスの言葉からの読み)


夏が近くなると、

あらゆる驚きが一気に来そうな気がする。


(「気がする」というだけである)


衝撃は大きいだろうから、神の名を身にまとって保護してもらおう。


「岩の上の城」に閉じこもろう。