御子のどんでん返し
旧暦の大晦日。
物思いにふけりつつ、孤独と寒さの中で過ごしている。
我々には見えない裏側で、過去に積もったヘドロが掃除されている。
しかし、「ルンルン気分」は感じ取れない。
これはおそらく、「前の神」の持ち場だからだろう。
太陽の暖かさを発揮する「後の神」が活動すれば、最下層の人々にも笑顔が満ちるはずだからである。
能登の地震で示された支配の極寒は、希望の未来など夢の夢ではないかと思わせ、民衆は失意のどん底に追い込まれている。
誰もが思っただろう。
「神はいないのか?」
ホレブの山で、モーセは「前の神」の冷たい意図に触れ、身震いする思いで山を下った。
そこでは多くの民がヘドロのような背教を遂行し、酔いしれていた。
「粛清に次ぐ粛清」
角の生えた般若の形相で、処分した背教者は数しれず。
ここでモーセは感じ取っただろう。
民衆と共に神はいないのか?
遠くから見ているだけなのか?
そんな神なら無用だ。
石を抱えていたモーセだが、それを打ち割って神との契約を破棄。
これはちょうど、今までの世界を支配していた世の神が、「多くの悪事を許していた」という状況への理解・・・
つまり、失望と深刻さを悟った指導層の胸中を表している。
情報が放つ光は、キリスト教世界に衝撃をもたらした。
子供が地下世界で殺されているのに、イエスだと思われていた存在は「見て見ぬ振り」を続けていたのであった。
「見ろ、これだけの悪事が続いていた」
情報公開が進めば進むほど、自分たちの「神」が神ではなかった事を認識するしかなくなってしまう。
理由はそれしか見当たらない。
神が実は鬼であった・・・と。
■いきなりのどんでん返し
「神が神でない」なら、本当の神はどこにいるのか?
ここで人々は、神の名が間違っていたことを自覚する。
人々が呼び続けていたのは、天の神ではない。
→ 世の神(ヤハウェ)
あれだけ呼んだのに、これだけのヘドロが沈殿していた。地下世界に。
夜が明けると、人の認識にも光が差す。
本当の神の名はどこにある?
→ 「イハ」か?
日本のここにあったぞ。
これが、御子のどんでん返しである。
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