イハのブログ

神の名を知ってますか?

ギリシャ数字の謎



不思議な気付きがあった。


時計の文字盤からの考察。


ローマ数字が奥義を語っている。




■ローマ数字と人類史


ローマ数字は、世界の動きと同期しているのかも知れない。


※ ギリシャ数字は以下に説明がある。


◉数字いろいろ!現在も使われている世界各国の数字【ローマ・ギリシャ・アラビア・インド編】(数字Ⅰ)|お字書き道TALKS|書道系ラジオ🎧𓈒 𓂂𓏸 https://note.com/ojikakido_talks/n/n0a3ad9cefbf9



※ インドの数字表記は確かにややこしいが、これは日本も同じ。


例えば、幼児に読み方を教えるには、131と書いて「ヒャクサンジュウイチ」と仮名を振る。


(ヒーフーミーヨーという読み方もある)


人類はバベルで鬼神に言葉を乱されたが、その傾向はますます進行しているわけだ。




以下はローマ数字。



1→ Ⅰ  アダムの誕生

2→ Ⅱ  イブの分離

3→ Ⅲ  出産

4→ Ⅳ  人と神と大洪水

5→ Ⅴ ホレブでの介入(契約)

6→ Ⅵ 人間イエス

7→ Ⅶ 福音と二枚目の主

8→ Ⅷ 二重基準の世(天地)

9→ Ⅸ 人間と神の国の接触

10→ Ⅹ  神の王国



ゼロの概念は無かった。


◉ギリシャ数字(I、II、III、IV、V、VI、VII、VIII、IX、Xなど... - Yahoo!知恵袋 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q141371119



考察はまだ固まっていないが、

確かにTwitterが「X」(エックス)と名を変えたのも気になる。


それは「神の王国」を願ってなのか。


※ イーロン・マスクは霊感の人。


現在はまだ「Q」=「9」の段階であり、

もう少しで神代に至ろうとしている。



完璧ではないが、今のところ「10」までのこじつけに成功。


しかし、神代が1000年続いてから、二つの数字が残る。



11→ Ⅺ

12→ Ⅻ



千年王国の後、反逆が起きるとされており、それは大規模に押し寄せる。


『ギリシャ数字の謎』が、完全に解明できるのは、まだ先のようである。

ペンテコステの二枚舌




日本に奇妙な表現がある。


→ 「二枚舌」


このルーツはどこにあるのだろう?



動物なら→ 「蛇」?


舌先が2つに割れている蛇は、これで臭いを嗅いでいる。



「楽園の蛇」は確かに、巧妙な形で二枚舌を使った。


(イブを騙した)


しかし、人間の・・・特にキリスト教のルーツも「蛇」に関係している。


「イエス」が「後からの蛇」として、人々を癒やしているからだ。


癒やし(ご利益)だけが目的なら、どちらでもいいだろう。


(喜びはある)


しかし、「本物を求める」人は、注意深い吟味を必要とする。



◉ペンテコステ(聖霊降臨日) | 歳事暦 https://saijigoyomi.com/pentecost/



使徒2章

五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、

2 突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。

3 また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。




別の舌を受けた彼らは、自国語に加え、他国の言葉も話し始めた。




4 すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。

5 さて、エルサレムには、天下のあらゆる国々から、信仰深いユダヤ人たちがきて住んでいたが、

6 この物音に大ぜいの人が集まってきて、彼らの生れ故郷の国語で、使徒たちが話しているのを、だれもかれも聞いてあっけに取られた。

7 そして驚き怪しんで言った、「見よ、いま話しているこの人たちは、皆ガリラヤ人ではないか。

8 それだのに、わたしたちがそれぞれ、生れ故郷の国語を彼らから聞かされるとは、いったい、どうしたことか。

9 わたしたちの中には、パルテヤ人、メジヤ人、エラム人もおれば、メソポタミヤ、ユダヤ、カパドキヤ、ポントとアジヤ、

10 フルギヤとパンフリヤ、エジプトとクレネに近いリビヤ地方などに住む者もいるし、またローマ人で旅にきている者、

11 ユダヤ人と改宗者、クレテ人とアラビヤ人もいるのだが、あの人々がわたしたちの国語で、神の大きな働きを述べるのを聞くとは、どうしたことか」。




つまり、「舌」をもう一枚受けた弟子たちが外国語を話している風景。


※ 日本の表現にある「二枚舌」は、ここから出ているのかも知れない。




12 みんなの者は驚き惑って、互に言い合った、「これは、いったい、どういうわけなのだろう」。

13 しかし、ほかの人たちはあざ笑って、「あの人たちは新しい酒で酔っているのだ」と言った。

14 そこで、ペテロが十一人の者と共に立ちあがり、声をあげて人人に語りかけた。「ユダヤの人たち、ならびにエルサレムに住むすべてのかたがた、どうか、この事を知っていただきたい。わたしの言うことに耳を傾けていただきたい。

15 今は朝の九時であるから、この人たちは、あなたがたが思っているように、酒に酔っているのではない。

16 そうではなく、これは預言者ヨエルが預言していたことに外ならないのである。すなわち、

17 『神がこう仰せになる。終りの時には、わたしの霊をすべての人に注ごう。そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう。

18 その時には、わたしの男女の僕たちにもわたしの霊を注ごう。そして彼らも預言をするであろう。

19 また、上では、天に奇跡を見せ、下では、地にしるしを、すなわち、血と火と立ちこめる煙とを、見せるであろう。




終わりの日に成就するイナゴの出現が一つのしるし。


では、以下の聖句の意味は?




20 主の大いなる輝かしい日が来る前に、日はやみに月は血に変るであろう。




現代の我々は「聖霊が配られる世代」なのだ。


そこでは「支配者」(太陽)や「月」(お付の者)が暗転する。


盤石と思われた権力構造・国家宗教が揺れ動き、境遇が二つに分かれる。




21 そのとき、主の名を呼び求める者は、みな救われるであろう』。




ここで「主の名」を知るかどうかが分岐点。


なぜならイエスが二人いるからだ。


→ 「一枚目」と「二枚目」


※ (この「二枚目」が二枚舌)



聖霊を配る「父の名」も二つある。




22 イスラエルの人たちよ、今わたしの語ることを聞きなさい。あなたがたがよく知っているとおり、ナザレ人イエスは、神が彼をとおして、あなたがたの中で行われた数々の力あるわざと奇跡としるしとにより、神からつかわされた者であることを、あなたがたに示されたかたであった。

23 このイエスが渡されたのは神の定めた計画と予知とによるのであるが、あなたがたは彼を不法の人々の手で十字架につけて殺した。

24 神はこのイエスを死の苦しみから解き放って、よみがえらせたのである。イエスが死に支配されているはずはなかったからである。

25 ダビデはイエスについてこう言っている、『わたしは常に目の前に主を見た。主は、わたしが動かされないため、わたしの右にいて下さるからである。

26 それゆえ、わたしの心は楽しみ、わたしの舌はよろこび歌った。わたしの肉体もまた、望みに生きるであろう。

27 あなたは、わたしの魂を黄泉に捨ておくことをせず、あなたの聖者が朽ち果てるのを、お許しにならないであろう。

28 あなたは、いのちの道をわたしに示し、み前にあって、わたしを喜びで満たして下さるであろう』。




聖霊がどこから来ているだろう?


1.→ 「一枚目」の父

2.→ 「二枚目」の父


どちらも喜びで満たされるのは同じだが、この区分は重要。



古代日本に来た弟子の集団は、「一枚目」(男の子)を生んだ女の末裔なので「二枚目が誰か」も知っている。


※ だからこそ、五旬節の「舌配り」を「二枚舌」という表現に繋ぐ文化を持っているのである。


この結論に至るまで、私自身も鬼の操縦を受けて紆余曲折を繰り返していた。


気付いてからは、見分ける目を与える創造主の名を模索し、それが「イハ」であると知った。


しかし、現代社会は世の神の名しか知らない事も教えられた。


真実の父の名を知った人から、本当の聖霊を受ける人が出るだろう。


結局、名を間違えたりするとイハと無関係の世界に満ちる霊に操縦される可能性が生じる。


五旬節は大きな節目である。




29 兄弟たちよ、族長ダビデについては、わたしはあなたがたにむかって大胆に言うことができる。彼は死んで葬られ、現にその墓が今日に至るまで、わたしたちの間に残っている。

30 彼は預言者であって、『その子孫のひとりを王位につかせよう』と、神が堅く彼に誓われたことを認めていたので、

31 キリストの復活をあらかじめ知って、『彼は黄泉に捨ておかれることがなく、またその肉体が朽ち果てることもない』と語ったのである。

32 このイエスを、神はよみがえらせた。そして、わたしたちは皆その証人なのである。

33 それで、イエスは神の右に上げられ、父から約束の聖霊を受けて、それをわたしたちに注がれたのである。このことは、あなたがたが現に見聞きしているとおりである。

34 ダビデが天に上ったのではない。彼自身こう言っている、『主はわが主に仰せになった、

35 あなたの敵をあなたの足台にするまでは、わたしの右に座していなさい』。

36 だから、イスラエルの全家は、この事をしかと知っておくがよい。あなたがたが十字架につけたこのイエスを、神は、主またキリストとしてお立てになったのである」。

37 人々はこれを聞いて、強く心を刺され、ペテロやほかの使徒たちに、「兄弟たちよ、わたしたちは、どうしたらよいのでしょうか」と言った。

38 すると、ペテロが答えた、「悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう。

39 この約束は、われらの主なる神の召しにあずかるすべての者、すなわちあなたがたと、あなたがたの子らと、遠くの者一同とに、与えられているものである」。

40 ペテロは、ほかになお多くの言葉であかしをなし、人々に「この曲った時代から救われよ」と言って勧めた。

41 そこで、彼の勧めの言葉を受けいれた者たちは、バプテスマを受けたが、その日、仲間に加わったものが三千人ほどあった。

42 そして一同はひたすら、使徒たちの教を守り、信徒の交わりをなし、共にパンをさき、祈をしていた。

43 みんなの者におそれの念が生じ、多くの奇跡としるしとが、使徒たちによって、次々に行われた。

44 信者たちはみな一緒にいて、いっさいの物を共有にし、

45 資産や持ち物を売っては、必要に応じてみんなの者に分け与えた。

46 そして日々心を一つにして、絶えず宮もうでをなし、家ではパンをさき、よろこびと、まごころとをもって、食事を共にし、

47 神をさんびし、すべての人に好意を持たれていた。そして主は、救われる者を日々仲間に加えて下さったのである。




本当の話が半分あり、配られた「別の舌」からの内容も重なっている。



「ペンテコステの二枚舌」を読み抜くため、正しい父の名を知ろう。


それは「イハウヘ」。

耳のある者になりたい



「耳のある者」という表現は奇妙だが、

重要なのは確かである。


真逆の存在として「耳のない者」は「魚」に例えられ、「地上の霊者」(鬼)を指す。


彼らはテレパシーを使うから、耳は必要ない。また、常に人を操縦しようと考えている。


イエスは、「魚たち」がイエスの話を取り入れて利用する・・・という意味も含めていた。


「二枚目のイエス」が「成りすまし」をするので、その相手には聞かせたくなかったのである。


人間の中の「聞こうとしない人」も、話したって無駄だから、彼らも「耳のない者」に類別されたのだ。




■耳の探求


耳に関係する言葉に、「博学」がある。


普通、それは「目」の力であると考えがちだが、現実には「耳」なのだ。


→ 耳から入った言葉を「理解力」で読む


「博学」とは、広い見識を持っていることであり、あれこれ噛る人物の事なので、まるでネズミのような人。


しかし相手を褒める言葉に違いない。



博学の人は、物事をよく把握している。


その意味で「把握」も「耳」に関係がありそうだ。



【把握】ハアク

1.握りしめること、手中に収めること。

2.しっかりと理解すること。



聖書の把握は、「手」じゃなく「耳」から入る情報が理解されてこそ可能となる。




■英語の助けを借りて解明


イエスは「耳のある者」という言葉を使って、「把握力」に言及していた。



その力は「耳」によって生じる力。


「把握」(ハアク)から「ハーク」という語が浮かんだ。


同じ枠内にあったと思われる英語がこれ。



【heark・en】ハーケン

動)文)自・・・に耳を傾ける

他)・・・を傾聴する。



この言葉に繋がりそうな日本語は・・・


「博識」「博学」「迫真」「拍手喝采」など。



「博」・「迫」(hearken)は目じゃなく「耳」に関係していた。


英語ならこれ。



耳→ hear



【hear】ヒア

原意:注意をはらう、見守る、聞いて知る

1.聞こえる。

2.聞き入れる。

3.耳にする。

4.ミサに出席。

5.応じる。

6.気付く。


「hearken」と同じ囲い)


イエスはよく、この言葉を告げた。


「耳のある者は聞きなさい」



逆に、こんな事も言った。


「(邪魔なら)手と目は捨てろ」



しかし「耳」を捨てる話は、どこにも書かれていない。



イエスが重視したのは「耳のある者」であればこそ、「耳」に注意を向けなければならない。



英語の「hear」(ヒア)は、日本語で「ヒヤ」という発音。


まず思い浮かぶのは、


→ ひやかし



【冷やかし】

1.買う気無しで値を聞く。

2.なぶり事を言う。



温度は確かに冷たいだろうが、本意は「聞くだけの人」を指していたようだ。


そんな人には対応したって効き目無し。



「軽いノリ」で人を振り回す行為を表現する言葉には、「かす」という語尾が付く。



誤魔化す

冷やかす

茶化す

脅かす



「かす」の正体は?


→ casu



【casual】カジュアル

1.(人の態度が)

  ・・・をあまり気にしない。

2.無頓着な、のんきな。

3.普段の。

4.よく注意していない。

 うわべだけの、おざなりの。


5.(出会いが)偶然の。

6.(仕事など)臨時の。

  一時的な、



【casuist】カスイスト

1.哲学)決疑論。

2.政治)詭弁。こじつけ。




casu(カス)には「適当」「いい加減」「詭弁」の意味がある。



これで、「耳を貸す人」と「カスの人」の違いが読めた。




日本には漢字のヒントもある。



イエスの話は「聞よりな話」だが、特に聞くべきはこんな人。


→ 恥の心を持つ人

→ 聖職者

→ 政府の職員



「耳」に注意すれば、

イエスの言葉がよく把握できるようになる。


やはり耳は重要だ。


「耳のある者になりたい」と思う。