鬼から来る祝福
鬼が神の振りをする。
これは巧妙だから誰もが騙される。
「『神』の祝福を受けた!」
しかし、
悪魔崇拝者が受ける祝福と変わらない。
この崇拝では、「犠牲を差し出す事」が「ご利益」との交換条件。
カルタゴのモレク崇拝では犠牲として捧げるのは赤子。
火の燃える炉に投げ込んでいた。
聖書では、牛や羊の犠牲を捧げるが相手は本当に神だろうか?
通常の犠牲には「お溢れ」があり、捧げた後に民衆に肉が振る舞われる。
ソロモンが数千・数万頭の牛を捧げていた時も、多くの「お溢れ」が生じるから民は祭りの気分で喜んでいた。
お溢れが生じない「全焼の犠牲」の場合、バアル崇拝と同じように焼き尽くされて灰になる。
ソロモン王は常に犠牲を欠かせなかったので神のお気に入りであった。
祝福も桁違い。
歴代誌下 7章
ソロモンが祈り終ったとき、天から火が下って燔祭と犠牲を焼き、主の栄光が宮に満ちた。
2 主の栄光が主の宮に満ちたので、祭司たちは主の宮に、はいることができなかった。
3 イスラエルの人々はみな火が下ったのを見、また主の栄光が宮に臨んだのを見て、敷石の上で地にひれ伏して拝し、主に感謝して言った、「主は恵みふかく、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない」。
4 そして王と民は皆主の前に犠牲をささげた。
5 ソロモン王のささげた犠牲は、牛二万二千頭、羊十二万頭であった。こうして王と民は皆神の宮をささげた。
6 祭司はその持ち場に立ち、レビびとも主の楽器をとって立った。その楽器はダビデ王が主に感謝するために造ったもので、ダビデが彼らの手によってさんびをささげるとき、「そのいつくしみは、とこしえに絶えることがない」ととなえさせたものである。祭司は彼らの前でラッパを吹き、すべてのイスラエルびとは立っていた。
7 ソロモンはまた主の宮の前にある庭の中を聖別し、その所で、燔祭と酬恩祭のあぶらをささげた。これはソロモンが造った青銅の祭壇が、その燔祭と素祭とあぶらとを載せるに足りなかったからである。
8 その時ソロモンは七日の間祭を行った。ハマテの入口からエジプトの川に至るまでのすべてのイスラエルびとが彼と共にあり、非常に大きな会衆であった。
9 そして八日目に聖会を開いた。彼らは七日の間、祭壇奉献の礼を行い、七日の間祭を行ったが、
10 七月二十三日に至ってソロモンは民をその天幕に帰らせた。皆主がダビデ、ソロモンおよびその民イスラエルに施された恵みのために喜び、かつ心に楽しんで去った。
驚くなかれ。
この神は「世の神」である。
「天の神」は、「私は犠牲を喜ばない」と告げている。(ホセア6章6節)
ホセア6 章
「さあ、わたしたちは主に帰ろう。主はわたしたちをかき裂かれたが、またいやし、わたしたちを打たれたが、また包んでくださるからだ。
2 主は、ふつかの後、わたしたちを生かし、三日目にわたしたちを立たせられる。わたしたちはみ前で生きる。
3 わたしたちは主を知ろう、せつに主を知ることを求めよう。主はあしたの光のように必ず現れいで、冬の雨のように、わたしたちに臨み、春の雨のように地を潤される」。
4 エフライムよ、わたしはあなたに何をしようか。ユダよ、わたしはあなたに何をしようか。あなたがたの愛はあしたの雲のごとく、また、たちまち消える露のようなものである。
5 それゆえ、わたしは預言者たちによって彼らを切り倒し、わが口の言葉をもって彼らを殺した。わがさばきは現れ出る光のようだ。
6 わたしはいつくしみを喜び、犠牲を喜ばない。燔祭よりもむしろ神を知ることを喜ぶ。
7 ところが彼らはアダムで契約を破り、かしこでわたしにそむいた。
「楽園のアダム」以来、人類は天の神に背を向けている。
イエスは全世界を支配する世の神から誘惑されたが断った。
最後の犠牲となって全ての犠牲を終わらせ、それ以降の民は魚料理のみ。
→ 古き日本の風習と同じ
これ以降、神に犠牲を捧げる必要は無くなっている。
日本では旧約のユダ族「出雲」が鹿の犠牲を続けていたが、イエスの弟子であった「大和朝廷」が来て「犠牲は終わった」と報告した。
それで、諏訪大社のような巨大な宮でも犠牲を終わらせ、鹿の首の剥製が使われる「御頭祭」という名残だけ続いている。
■天の神は犠牲を求めていない
動物の犠牲を求めていたのは「世の神」であり、「天の神」と混同されている。
しかしイエスの父は犠牲を望まない。
イエスは犠牲を終わらせるためのメシアとして役割を終えた。
それを、世の神が承知するだろうか?
世の神は人間の犠牲を求めて戦争を起こし、事故や病気や飢饉を起こし続けている。
これこそ、「鬼が神に化ける」という意味である。
人類が天の神に立場を変えない限り、世の神は「二枚目の主」を使って戦争を起こし、悪魔崇拝者を養護して犠牲を捧げるよう働き掛けるだろう。
これと戦える人は、天の神に立場を定めた「イハの人」だけである。
彼らは、鬼から来る祝福など求めない。
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