イハのブログ

神の名を知ってますか?

日本は十部族か?

hiroso



日本語がヘブライ語だという話が世界に知られ始めている。


そうした中、「日本は十部族だ」という説が声高(コワダカ)である。


しかし、それが真実だろうか?



下積みの言葉は、たしかにヘブライ語が読み取れる。


だが、日本語の「二層構造」という考えはほとんど知られていない。


これは、日本を闇の中に置こうとする鬼がいて、常に歴史を撹乱しているためだ。


知るべきは


→ 鬼の悪意


鬼は日本が神の国であるからこそ、捻じ曲げを常としているのである。


身構える意識が欠けていると、鬼の翻弄により「あっち向いてホイ」の状態にされてしまう。



■鬼は「岩」を目の敵にする


例えば、四谷怪談。


幼少期にこの話を聞かされると、「お岩」に拒否反応が育ってしまうだろう。


ところが、「岩」が意味するのは創造主。


鬼がいかに創造主を遠ざけたいかが読めるはずである。



「日本語とヘブライ語」の関係が知られたのは随分前だが、なぜこうなったのだろう?


→ 日本は十部族だ


確かに、ユダヤ人の国が中東にあるから、残る選択肢は十部族。(?)



しかし、


「日本=十部族」という説では大きな齟齬(ソゴ)が生じる。



【齟齬】ソゴ

(上下の歯が食い違う事)

食い違い。行き違い。



敢えて、「日本をユダ族」と定義すれば、すべてが納得できる。


実際、黙示録はこう告げている。


「ユダヤ人と自称しているが・・・

そうではなくて・・・」


そうした存在を示唆しているのである。(黙示録2章9節と3章9節)



※ 日本が光の中に出ると論議が始まるだろうが、それでは「自称ユダヤ」が困るのだろうか?・・・そうではない。彼らにとっても救いとなる。なぜなら背後の赤い龍は常に戦争を好み、自分の配下にも生贄を要求する恐ろしい存在であるからだ。


とにかく、歴史には妙な風が吹いている。



ソロモン王の代が終わり、王国が南北に分離した時、十部族の国を治めていたヤロブアム王は民衆に背教をもたらした。


神殿はユダの国にあり、自分の国になかったのでヤロブアムは焦った。


「民衆はユダに向かってしまう」


阻害された王になる事を恐れたヤロブアムは、神殿に金の子牛を置いて言った。


「さあ、これがお前たちの神だ」


民は崇拝を始めたが、これに翻弄(ほんろう)されたのは「レビ族」だった。


彼らは古来から続く神事に携わるため、優遇措置の中に置かれていた部族。




申命記18 章(レビを優遇する)

レビびとである祭司すなわちレビの全部族はイスラエルのうちに、分も嗣業も持たない。彼らは主にささげられる火祭の物と、その他のささげ物とを食べなければならない。

2 彼らはその兄弟のうちに嗣業を持たない。かつて彼らに約束されたとおり主が彼らの嗣業である。

3 祭司が民から受ける分は次のとおりである。すなわち犠牲をささげる者は、牛でも、羊でも、その肩と、両方のほおと、胃とを祭司に与えなければならない。

4 また穀物と、ぶどう酒と、油の初物および羊の毛の初物をも彼に与えなければならない。

5 あなたの神、主がすべての部族のうちから彼を選び出して、彼とその子孫を長く主の名によって立って仕えさせられるからである。

6 レビびとはイスラエルの全地のうち、どこにいる者でも、彼が宿っている町を出て、主が選ばれる場所に行くならば、

7 彼は主の前に立っているすべての兄弟レビびとと同じように、その神、主の名によって仕えることができる。



※ 「主の名」は、「岩の神」を意味する。



申命記は、各部族に散って暮らしているレビ族の特質をこのように教えている。


「レビは主の力で融合する」

(「主」→ 「岩の神」)


申命記はイスラエルの民が十部族とユダ族に分離する前の教えだが、王国が二つに分離してもレビは「岩の神」の下僕(シモベ)。


そんなレビを、北の王が裏切った。


北の王はヤロブアム。(裏切りの王)

南の王はレハベアム。



「レビ族」はどこに行っても、共通の神の名を通して融合できる。


その大切な神の名を子々孫々に伝える一番の方法は、エレミヤのように、自分の名字に神の名を頂く事である。


名字の意味が忘れられた時代になっても、親しんだ名をレビが変えるはずがない。


レビの決意は固い。





■追い出されたレビは?


北の十部族の王ヤロブアムが信仰を逸脱し


権力で強引に「金の子牛崇拝」を始めた時期、北の王国に住んでいた岩の神のレビたちは当然反対した。


それで王は自分に従う祭司を任命。


旧来のレビは、南のユダ王国に移住したり、固まって暮らす集団もいた。


もし日本が十部族であるなら、ヤロブアムの流れという図式。


金の子牛に奉仕する「ヤロブアムのレビ」が仕切っているというのだから、正当な神(イハ)を祀るレビはいないはずなのだ。


しかし日本は、「岩への信仰」を保持しているので、十部族の信仰には合致しない。


また、大陸のどこかに、追い出されたレビの国もあるはず。


そこに神の名が保存されていると考えられる。


その名字はおそらく→ 李(イ)


海外から李(リー)と呼ばれている名の発音だが、実は「イ」が正しい。


→ 岩(イハ)の「イ」。


その名を掲げる王朝は、「レビの国」(カーンの国)だろう。


(韓国?)


もし日本を「十部族」と定義してしまうと、古代からのレビ族は日本国内にいないはずであり、崇拝対象も岩でなく牛である。


ヤロブアムは、金の子牛を崇拝させるため、都合の良いレビを任命し、彼らに実権を与えたので、十部族の国はインドのように牛を尊重しているはずなのである。


→ 十部族の神殿は牛が主役


だから日本の伊勢のような神殿でなく、仏教寺院のように牛の像が境内にあったりするはずなのだ。


また、夫婦岩のように尊重されている岩もない。


日本はどう考えても、ユダ族の国であり、あらゆる状況証拠がそれを証明している。


1.日本国旗。(御子の象徴)

2.天皇の長い歴史。

3.言葉の二重性。


「1」に関しては、ユダ族の都にイエスが登場し、そのシンボルが太陽であったので旗印には太陽がふさわしい。


他方、十部族は御子を知らないままである。


「2」に関しても、モーセ以後の大切な支配記録をユダ族が保持している。


「3」について、日本語はたしかにヘブライ語が基礎にあるが、その上にイエスの時代の公用語であった「コイネー」が積もっている。


イエスの弟子が日本に移住したと考える理由はここにある。


表面の言葉がコイネーだから、現代の日本庶民はヘブライ語を聞いても理解できない。


(民謡のお囃子としては残されている)


それは、古い時代に出雲族に通用していたが大和朝廷が国を譲り受けてから彼らの言葉「コイネー」が上を覆ったためである。


ただ、ヘブライ語との中継ぎのため、ヘブライ語とコイネーを並べた表現も多くある。


ちびっと→ チイル・ビット

小さい→ チイル・サイズ


※ 前がヘブライ語、後ろがコイネー。


(これを解説連語と名付けた)


コイネーは日常で使われているから、英語のヒントから読めたりする。


語順は違うが、英語はコイネーの支流であり、英語解析を通せば日本語の謎も解けるのである。



遮断→ shut・down



【shutdown】シャットダウン

閉鎖、休業、操業停止。



あーしんど!→ syndrome



【syndrome】シンドローム

1.症候群。病的。

2.徴候、行動様式。



日本が「鬼の目隠し」に気付かないと、神の到来への下準備が遅れてしまう。


鬼が必死で、日本を十部族に固定しようと画策する理由は以下にある。



黙示録3 章(王権を持つ者)

7 ヒラデルヒヤにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『聖なる者、まことなる者、ダビデのかぎを持つ者、開けばだれにも閉じられることがなく、閉じればだれにも開かれることのない者が、次のように言われる。

8 わたしは、あなたのわざを知っている。見よ、わたしは、あなたの前に、だれも閉じることのできない門を開いておいた。なぜなら、あなたには少ししか力がなかったにもかかわらず、わたしの言葉を守り、わたしの名を否まなかったからである。

9 見よ、サタンの会堂に属する者、すなわち、ユダヤ人と自称してはいるが、その実ユダヤ人でなくて、偽る者たちに、こうしよう。見よ、彼らがあなたの足もとにきて平伏するようにし、そして、わたしがあなたを愛していることを、彼らに知らせよう。

10 忍耐についてのわたしの言葉をあなたが守ったから、わたしも、地上に住む者たちをためすために、全世界に臨もうとしている試錬の時に、あなたを防ぎ守ろう。

11 わたしは、すぐに来る。あなたの冠がだれにも奪われないように、自分の持っているものを堅く守っていなさい。

12 勝利を得る者を、わたしの神の聖所における柱にしよう。彼は決して二度と外へ出ることはない。そして彼の上に、わたしの神の御名と、わたしの神の都、すなわち、天とわたしの神のみもとから下ってくる新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを、書きつけよう。

13 耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい』。



11節に「あなたの冠」とある。


ユダ族には、人類社会の「王権」が約束されている。

(十部族にはそれが無い)


鬼はユダが所持する「王権」を剥奪したいのだろう。


しかしそれは、天与の権利。


地上の神々が勝手に、自分たちの選んだ者に付与できる筋のものではない。


それをやれば「違反」(イハへの反逆)である。


「鬼の勝手気ままな違反を許すなかれ」



また、これだけ御子が愛している民を、一人でも不幸にする支配者がいるなら、それはどれほどの怒りを招く事だろう。


日本は十部族説から脱却し、万全の体制で御子をお出迎えしたいものである。